闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2023.10.17

なんとなくきな臭いなって思う。大人たちの悪意に受動的に翻弄されるままの我々。我々の生はたとえ海岸の砂粒に等しいものだとしても、羽毛のように軽いものだとしても、絶対に略奪的に失われてはならない。

無を実存的に自覚する。そこから不安が生まれる。ニュースなどを見ても、他者から話される言葉も、存在が非存在(=無)であり得る可能性を自覚せざるを得ない状況ばかりである。第三次世界対戦が始まるなど、もう始まっているなど、我々はどうしたらいいのか。その弾雨のような非存在(=無)の脅かしにもかかわらず自己自身を肯定するところの勇気を必要としていると言われるのだとしても、この寄るべのなさ、不安はどうにもならない。

人間は死ねば、幽体(アストラル体)になり、根の国で、存在を続ける。通常の意識状態において、生活は一定した時間流のパラメーター、変数に枠づけられている。臨死体験や神秘的な意識状態下では秩序は乱され、瞬間から瞬間へと時間は伸長し、あるいは短縮する。時間の概念は用をなさない。

そんなことを言うことができるのだとしても、真実は人間が死ねば、非存在(=無)になる。つまり、人間は電気信号による伝達とホルモンによる機能維持と各物質による循環で出来ている。唯物論的に、脳が停止すれば意識の一切も停止する。

ものだと思っている。神も物質的に立証できない。

しかし、信仰とは、日常的経験を越えている何ものかを実存的に受け入れることである。人間は生まれてくる時代を選べないし、ただ実存的に存在している。自己と現実の中にある対立と向き合いながら、ただ生きることしかできない。自分なりの宗教心を持ちながら、矛盾を統合するための究極的な世界観を持ちながら、生きること――。

全ての事柄は足元を掬われたら用を成さない。権力がとる最も低劣な形態として存続するものが国家だと定義したとしても、その国家が持つ二つの側面、徴税機構と暴力装置には服従しなければならない。住んでいる場所が24時間以内に焼き千切られると言われた場合、それに従わなくてはならない。今まで学んできたこと、自分がどういう思想を持っているか、パーソナルな側面は全て網羅的に奪い去られる。全ては〝そこ〟に帰ってしまう。ならば、今生きている意味とは何なのか。持っているものとは何なのか。人間とは自らが創り出すところのものだと言われるのだとしても、創り出すもの――それをそれと認めてくれる場所がないならば、基体がないならば、無意味じゃないのか。創発的な自己、つまりナラティブこそが重要であるにしても、紛争の兆候、全てを非存在(=無)に還すところの威力からすれば、まるで無意味じゃないのか。

我々に何ができるだろう。我々が日々暇つぶしに動画を見て笑うのも、配信を見ながらコメントを打つのも、全ては、国家への従属化への記号だ。スペクタクルの集団的忘却だ。忘れられたものが、今こうして突然現れてくる――。思考は領有化される。国家による力の蓄積と独占によってこのような思考も、領有化される。もう僕らはどこへ行ったらいいのかわからない。力の蓄積と独占による発現による我々でしかもうあり得ない。

今僕がやっているのは、大人たちの悪意に受動的に翻弄されるままの自分としてのナラティブセラピーである。現実を作るのは語り方である。不安があるということは、非存在(=無)の脅かしに自覚があるということである。

僕は2023年8月17日に夢を見た。というより、オレキシンが不足している中見た現実かもしれない。なぜ、自分がそれを見れたのかわからない。不勉強の頭でその3カ国について明記できたのかわからない。中国、ロシア、アメリカと、そう明記していた。戦争のことについてメモしていた。

イスラエルハマス紛争。「ガザで人道危機が深刻化」現在の紛争でガザの市民が大量に巻き込まれている。中東の火薬庫が爆発し、アメリカがそこに傾注すれば、中国とロシアにつけ込まれて、第三次世界大戦が本格的に作動するという筋書き。中国とロシアの中露連合対欧米連合。もちろん欧米連合に含まれる日本も巻き込まれるどころか、日本が前線基地になる。

我々は意志を持たない自動機械として処理されるのか。もう本当に無力なのだろうか。未来の現在化は貪欲である。生の過程は略奪的に阻害されるのか。ただ、空虚に到達するのを待っているしかないのか。大々的に戦争のことについてメディアで報道される中、我々は、不安を生きるものの非存在に対する戦争をしている。