闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2020.09.16

エドワール・エストニエの「孤独」という小説、孤独を読まなければならないんだろうな、今日の予定は恐らく…しかし、一日の始まりに「孤独」と言う書物に手をつける人なんて果たしているだろうか。その一日の始まりという一義的な動機に「孤独」が結びついているだなんて、俺はおかしくなってしまったんじゃないか。もしそれを読み進めるとしたら俺は漸次的に何かわけのわからぬものから隔絶されていって、そしたら、なんていう空虚だろう。なんというおぞましさだろう。ところでみんなは一日の始まりに何をするのだろう。俺はやっぱりおかしいんじゃないか。という螺旋形の思考に犯されて、しばらくは何もできないでいたが、やがて「孤独」という小説を手に取る。かなり痛んでいる1947年に出版された裸本で、旧字体で書かれている。

べズレーにある祖父母の元で休養していた、「私」の青年時代。べズレーとは、フランスに今もある小さな村で、その実家において、ゴーシュ嬢と一緒になる。ゴーシュ嬢という人物は、白い布帽子を被り、出かける際もレース飾りの婦人帽で顔が見えず、「私」曰く、非物質的であるとされ、「空気のように流動する霊にすぎなくなると、肉体は消耗することなく、外観のために存在するもの」、年齢不詳、詳細な描写がないが、病身な丁寧な貴婦人であるとされ、普段は窓際で刺繍をしている。昔は、活発でお転婆、一人娘で両親から可愛がられるが、やがては萎黄病、そして肘掛け椅子から離れられなくなる。名医を呼び寄せ、接骨医、磁気療法、九日願掛………その外観は、はるか遠くを望むようであったとされる。そして相次いで両親がなくなった。
ミサに列席するために四度に一度の外出をし、旧字体で「大會堂に向かう」というのは、ロマネスク建築のサント=マドレーヌ大聖堂のことだろうか。「私」は、ゴーシュ嬢の元を訪れていなかったことに後悔を覚える。そして訪問していなかったことへの口実はないかと考える。「死んでいた方がよかった。彼女の耳に達する物音、生きた人間たちから隔絶した境涯を思い出させたに違いなかった。それにひきかえ、死人には物が聞こえない」と、「私」はゴーシュ嬢を「救いようのない孤独な人間」のように見るが、ゴーシュ嬢の方は、自分のことは忘れて、計画を尋ねたがるようにして「私」に同情を呈し、それに「私」は驚いた様子を見せる。気に触る対照があったが、「お祈りと思い出とがあれば孤独ではありません」と、ゴーシュ嬢は、その辛いとも、楽しくもない生活をただただ送る。そして、空想に耽り、空想の中に「馬車の元気な馬」を見る。「空想はあまりに忠実すぎて、そばを決して離れず、約束したものを取りに行く暇もない」と言う。そしてはるかに短かったが、「私」はゴーシュ嬢の元を立ち、別れの挨拶を交わす。それから三年後、という筋書きである、ここからはネタバレになる。

この小説には、飢え、羨望、 欠落がある。R.D.レインの言葉を改変して借りれば、「空想のなかで手をすり抜ける満足を現実の他者に求め、現実のなかに欠けている満足を終始空想する」

孤独は内部の事柄で、その孤独感のはけ口を、“無自覚的”に求めて、その空想の内部に嗚咽する。ゴーシュ嬢は言う。「獨りぼっちです!」