闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2023.12.27 なとり

特殊な経歴。

僕はずっと「外部」を嫌悪してきた。「格子」を嫌悪してきた。

(しかし今ではその「格子」がある種の「抽象機械」の出現をもたらすものだと知っているが…)

中学一年生の時分、度々問題を起こす性質ゆえ、主に学年主任の判断により、学校の出席停止処分を宣告され、所属先の消失を味わった。

 

15歳。

 

みなが高校に入学する時期、当該の立場としての高校に入学することを拒否する。僕は完全に社会から切り離された。
僕はオリジナルな作品の産出に憧れる。乙一と競合するように、若くしてデビューして、認められて、手腕家になりたかった。
しかし、「外部」に紐帯できるものは何も持たず、うだつが上がらない一年を送った。
一年遅れで高校に入学するも中退する。16歳。
早朝の品出しのバイトを始める。この時期のあまりの痕跡のなさ。無味。
17歳の後半、「本」というものに挑戦し、読破する。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。
それを皮切りに、様々な本(主に文学書や哲学書)を読破。観念とは「思考」のための「制度」である。ドストエフスキーなどに触れ、様々な観念に触れた。
しかし読破するだけである。18歳のとき、一人暮らしを始める。自分の「部屋」がないから。この時、無意識的に「外部」を渇望していたと思われる。しかしそれは自分一人の部屋であった。
本を読むことはできる。しかし、本を読んだことを反映するための「外部」をまるで持たない。
通常、大学生とかなら、「評価」されるための「格子」がある。「客観性」が著しく減耗していく。
極めて自足的な体裁であった。だが、僕は夢を諦めてはいなかった。
「外部」に私を誘ってくれる、加入させてくれる環境が欠如しており、方向感覚の定まらない日々を送る。それは盲信かもしれない。

 

「論理」という「外部」に憧れる。「論理」に憧れ、発心して、論理力を要請する言語プログラムである学習教材である数十万円する「論理エンジン」を購入するため、勉強するために、朝から晩まで働いた。

「論理」に憧れたのは、やはり「外部」を渇望していたからだと思われる。「客観性」に身を投じる必要を感じていた。
「論理」とは思考の「妥当性」が保証される法則や形式である。
僕は「妥当性」が保証されるための「外部」が欠如していた。だから「論理」という形式で、今までしてきたこと(累積された自分)の「妥当性」が承認されたかった。
しかし、実際に論理エンジンを手に入れて、独学で勉強するも、明確に何かが変わるわけではなかった。
とにかく文章を読む日々。図書館など通う日々。新聞などを読む。
おそらくはち切れんばかりに「外部」を希求していた。しかし、そのためにどうするべきかという指針が何も示されない日々である。
僕は「外部」を持っている大学生などの不愉快極まる闖入に対し、病的なまでに激しく嫉妬していた。

 

派遣のアルバイトなどで働いている。様々な人間に出会う。40代で日雇いから正社員になろうとするもの。短大で失敗し、ここにきたというもの。
「失敗」などという言葉を他人に対して吐くような人間が許せなかった。この時、僕は酒を絶え間なく飲むなどとした「自棄的な諦観」などはなかったが、そのような諦観を抱える今でさえも、絶対的に他人に対し「失敗」したなどとは断じて言ってはならない。

夢を諦めることは断じて許せない。

自分の夢や哲学に精神が耐えきれず挫折してしまうことは確かに魅力的だ。

だが、「失敗」したなどということを口にする。対外的に「失敗」を口にすることは許せない。

「外部」に「成功」を紐帯させたかった自分にとってはそれが一番許せなかった。僕はその「外部」が今は欠如していたけれど。僕は何よりも夢を保全していたかった。夢を保全させるための「外部」がなんなのかまるでわからなかったが…。


この時、過程(プロセス)としての哲学である「スキゾ分析」などを明確に志向するための萌芽はあってもおかしくはない。
僕は二重の実存があることを意識していたのかはわからないが、とにかくこことは別のどこかに行こうと決意した。
図書館に通い、新聞などを読んだりする日々で、本の著者略歴などを見るや、「〇〇大学卒業」となっている。大学に行ってみたいという思いが募ってきた。行きたいと思った。
派遣のバイト先とトラブルを起こして、辞めさせられ、間が壊れ、僕はもう、オリジナルな作品を産出するために、大学に行くことを考え、アカデミックな場所に身を投じたいと思った。僕が普段どんなことを考えているか見せつけてやりたかった。派遣バイトとのコントラスト。「失敗」したなどと他人に披瀝するような、可能性が消尽しているやつと同じになることだけは何としてもごめんだった。

独学で最初は勉強するが、途中から塾に行き始める。

やがて僕は大学に入学する。しかし、僕は大学に行きたくなくなった。「外部」を切望していたとしても、大学なんて「隷属集団」だった。隷属手段とは「外部」からダイアグラムを受け入れた集団である。

主観性は「機械」のために存在し、主体の構成要素は隷属の関数であり、その隷属は、外的規定力によって操られると同時に、自らの内的法則によっても支配される傾向を持つのだとしても、その外的規定力との関係並びに自らの内的法則との関係を、可能な限り管理することを使命とする主体集団となることが重要であり、脱領土化の動的過程である「実存」が形式的主観性に回収されていくさまに耐えることは難しかった。

領野横断的な、横断して学ぶことができる教育課程で豊かな教養や複眼的な思考を養うといっても、プロゼミの教授を選択できなかったり、エコロジカルな可能性を標榜する教授が縦軸で生徒を贔屓して本を渡していたり、「単位」という世辞の制度があったりと、僕は段々、形式的主観性を想定することを拒否した。

反復というのは、意味作用的な「不変」なものではなく、あらゆる瞬間における「実存」の必然性のシェーマという「形式」であるとするならば、大学は「不変」を要求してくるのだと思った。

「格子」とは、型にはまった分析的座標ではなく、それを横断するツールとして働くべきである。共時的に繋がりあう関係。だが、大学ではただ空っぽの時間が過ぎていったように感じる。

 

「なお、本日の授業で、課題を課しました。時間のあるときに、資料等を取りに来てください」

「どこにとりにいくんです」

「研究室です」

「どこです?」

「もちろん私の研究室ですよ。次は火曜日に出校します」

「私の研究室というのは、何棟の何階にあるんです?」

「研究室については、すでにプロゼミでも説明しましたし、入学時に配布された資料にも記載されています。A818号室です。大学は、答えを自分で調べて求めるところです。どうしてもわからない場合は仕方ありませんが、安易に尋ねて答えを求めるのではなく、なるべく自分で答えを見つける習慣をつけるようにしましょう。まだ大学生活に慣れず、わからないこともあることでしょうが、どうかがんばってくださいね」

 

彼らはさ、「実存」を見てないんですよ。打ち砕かれる「実存」。極めて網羅的に人々を見てるんです。「安易に尋ねて答えを求める」ような人物として僕は見られてる。僕はそうではないのに。「答えを自分で調べて求めるところ」だって?俺はそうしてきたし、いつだってそうしてるよ。お前らがダイアグラムを強制してくるのがいけないんだ!

「外部」から与えられることのない、対象としてではない、強度的反復として、胸がうずくような実存の肯定として目の前にある「領土」。

この「領土」。環境やリズムに働きかけた領土化する行為を通した「領土」は、大学という「外部」に回収され、形式的主観性としての疎外された現実に適応させられた偽りの自己を生む。

 

僕が求めてきた「外部」はそのようなものだったのか?

「制度的な立場」は流動的なものになり、新しい「領土」を作り、関係性を生む。

大学というのはもちろん「制度的な立場」であり、「外部」である。それは、単一体としての個人から主観性という概念を解放して、その主観性は「領土」を作る。

主観性の形成は「個人」という区分と一致することはなく一致は不可能、一致すべきでもない。その「間」としての主観性の形成のための、具体的なものの変遷の間にある抽象的な「媒介」として働く抽象機械が大学にはあったとしても。

僕が思うには、大学におけるそのような「制度」は「対象」なのである。しかし、その「制度」はつねに改変しなければならないのであり、既存の「制度」の破れ目を作るには、一人一人担う役割の分担を少し変えることなど、完全に隷属した一つの構造であるよりは、流れの生産、脱領土化されたダイナミズムが必要になるのにも関わらず、固定化された上下秩序のような、外部的な要請が強すぎるのである。

確かに、主観性は「客観的存在」である。しかし、お前によって、お前に依拠した、客観的存在にはなりたくない。

それに経済的なものにも圧迫されていた。言説的な次元(経済的、社会的、制度的なもの)と実在的次元の両方を結びつけて表現する力が資本主義にはない。大学にはない。言説的なものと実存的なものの間にはギャップがある。これを接合しようとする契機が、美的-感性的なものであり個人言語的な「表現」なのだが。

その「表現」を大学は、大学という「格子」としての「枠組み」として機能している「表現」にたえず還元してしまい、無化を孕むのだ。

 

「大学は、答えを自分で調べて求めるところです。どうしてもわからない場合は仕方ありませんが、安易に尋ねて答えを求めるのではなく、なるべく自分で答えを見つける習慣をつけるようにしましょう」

 

その「答え」の行き着く先は、あなたの形式に迎合する「答え」だ。

それは形式的主観性しか生まない。それを拒む。

 

僕は自分を評価してくれる、自分の呼ぶ声を聞く必要があると感じ、「外部」としてある「制度」を希求してきた。

僕は大学を中退し、フェリックス・ガタリについてや、ジャン・ウリについて真剣に学ぶ。

エコロジカルな問題意識というのは、制度論的療法に特権的な場を付与する。それは意思疎通の環境であり、空間の中において自らを占める「位置」によって捕捉する。言表行為=主観性であり、その拠点作りがラボルド精神病院の試みだった。

ああ、僕は、ラボルドに加担するのは、「制度」が僕にはないから、「欲しい」という表現だった。

「制度」が「欠如」しているから、制度の大切さを知っていた。主体性論が叫ばれたのは、主体性が必要だから叫ばれたわけだ。それは「欠如」の感覚から来ているのだ。
俺が制度論や言表行為の動的編成などについて興味を持つのも、その「欠如」の感覚から来る。

その「制度」への諸個人の自発的な参加が重要なのである。それに裏打ちされるのは、「ソフト」な統制システムである。

 

ソフトな統制システム。

 

だが、大学は違う。気がした。

僕が自己実現できず、逡巡していた頃、ガタリがそれこそ15歳の時分、ユースホステル運動で責任者として活動しているフェルナン・ウリという制度論的教育学の人を知る。

家族的な、ミクロ政治学的な、そういう視線の中に感じ取っていた、硬直した世界から離脱、離脱ができると思った。陰鬱な組織によって支えられているシステムからの脱出。

 

15歳。

 

僕は「制度」を希求していながら、大学という「制度」を退けた。そして制度的な自己を捉え直そうとした。それは制度的な圧力強度や異質なものとの距離を測ることが必要となるにも関わらず、制度的な強度を相対化する眼差しを育てることができなかった僕は「制度」にますます捕縛されていく。

 

………

 

僕は「制度」という「外部」を持たない。

しかし、無意識も欲望も人間の内面、人間の側にはなく、「外部」にあり、その外部的支えがなければ、自分のやってきたこと、累積された自分は、承認されない。評価されない。基底層であるカオス性があるだけである。

僕は今までそのカオス性の中にいた。「外部」がなく、評価されず、僕の行動は、方向感覚の失った妄信であった。12歳で所属先を失い、場所と方向尺度の融合が行われず、作用空間のコンパスを持たず、秩序、規則性というものが幻想の共有だったとしても、その幻想すら持てず、そのカオスからの可能性である主体的エネルギーを反映する場を持たず。

「外部」が失われているのだから。

 

何も産まない。

 

………

 

自分の名を呼ぶ「声」を知らないまま生きてきた。

教育機関や、社会にも馴染めず、「外部」を信用せず、独力で生きてきた。

自分を評価するのはいつも自分だった。

しかし、ネットがあるから、ブログなどで自分の考えを吐露してきた。

それは有難い。個人の裁量でしかないが。

 

主観性は客観的存在だ。

 

外部が必要だ。

 

だから、過程(プロセス)に重きを置くスキゾ分析という概念や、「変化」や「生成」に向かうための素材である抽象機械という概念に入れ込んでいるのも、苦肉の策だったのだ。

 

「偏狭」な考え方になっている自分のための。安全網。

 

「外部」がないから、外部によって「客観性」を確保されてこなかったから、「偏狭」になる。

 

………

 

なとり。9月くらいにスカイプちゃんねるで出会い、ディスコード会議で話している人だ。

 

その人を僕はいつからか意識していた。

 

なぜか。あまりにも「ソフト」な物腰だからである。

 

どんな人間でも拒否せず、迎え入れ、子供のように戯れる。管理主義的権力の外の世界にいたような人。彼女からの声はいつも「遊び声」である。「海を見たことがなかった少年」を思い出した。

 

自由意志や自己責任が会話を含む環境や条件に制約されるのだとしても、それは「ソフト」な統制システムとして働く。

 

「ソフト」な統制システム。

 

彼女はよく眠る。ようやくこの世の波打ち際へたどり着いて、経過を果たして、今はぐったりと眠っている。それでも握り締めた小さな手に、小さな自分の命をつかんでいる。何を夢見ているのか?

 

俺が今まで接してきた女性とまるで違う。母性と庇護欲を持っていた。

「子供」と遊ぶことが好きな彼女は、彼女自身が子供のようである。

やはり管理主義的権力の外の世界にいるようだ。「外部」に拘うような性質ではない。権力は、動いている主体、自由な主体に対する作用の様式だが、その「格子」において、主体が自由であることは、その主体が常に状況を変える可能性を持っているということ。

管理主義的権力の外の世界であるということは、つまり、確固たる「論理」を持たない子供の目。生成を壊すための権力機構を突破する。

 

僕が彼女を見るということ、彼女の見聞を聞くということは、彼女の子供の目を通して自分をまたは世界を見るということ。

 

僕には、彼女の子供の目が必要なのだと思った。

 

僕は今まで「外部」を持たず、「偏狭」なってきた。

僕は「外部」を持たないから、勉強しても、何をしても、自分自身を抱きしめるかのような「装飾」になっていた。すべての行為が「寵愛」を強化するための装置となっていた。

 

〝抱かれ〟

 

評価してくれる「規範」がないから。僕は。自分をその規範により、規定すること。自分自身を知ることができなかった。

 

しかし、なとり。

 

お前がいれば。お前の子供の目があれば。

 

限界を規定しなくてもいい。子供の存在には限界がない。

 

限界のない過程、たえず限界を侵犯し、締め金を外す能力。

 

雲がいろんな形に見える。

 

お前の目を通して、雲がいろんな形に見える。

 

そんな日々を望む。

 

子供の頃の。

 

君の子供の目で、「外部」の締め金を外して。

 

これ以上「外部」に拘泥しなくてもいい。

 

自分自身を抱きしめるかのような「装飾」になるような日々だった。

 

ただ僕は彼女を抱きしめたかった。

 

自らを抱きしめるような装飾から解き放たれて。