闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2021.03.02

「資本主義的な主体は意味の不在によって豊かになる」と、ギャリー・ジェノスコは書いている。大いに共感できる。例えばメジコンなどの鎮咳薬などでトリップした時、あるがままの世界が立ち現れていく。そして、ノルベルト・ボルツが言うように「世界をあるがままに体験するとすれば、意味とは正反対の雑音のざわめきでしかない」そう、意味と言うのは正反対の雑音のざわめきだ。アルタード・ステーツや、ブレインストームなどの映画を見て欲しい。意味の不在が描かれていたと思う。そして、どちらも同様の終わり方をする。符合するのも珍しい。
学校や、仕事などで与えられる課題と言うものは、情報過剰の資本主義社会において、自分自身が問題とならないような装置として働く。意味の危機とは、自分自身のこと以外を考えられないことであるとボルツは言う。「意味の危機」。これは、先に述べた「意味の不在が豊かにする」とは別様である。ボルツは「現代社会にとっての究極の贅沢は意味と文脈である」と言う。我々は意味に飢える。そのために課題を必要とする。意味の循環の過程の中で、好況局面を持続させることは、自分自身のことなんて考えず、漸進的に課題をこなすことである。しかし、僕は「意味の不在が豊かにする」を支持する。意味に飢える、そしてボルツの意味の定義である複雑性の自己記述として、俺は現在文章を書いているが、意味に囚われすぎてはならない。「人はなぜ記号に従属するのか」の対談を最近したが、記号とは意味であり、セミリテラシー、要は意味批判力である。
最近、僕はドン・キホーテで葉巻があるか聞いて、ドライシガーであるフィリーズガリロ コニャックを買い、またパイプを勧められたので、チェリーかメープルか選んで、チェリーを買った。パイプ用ブレンドタバコを敷き詰め、火をつけるが、最初はなかなか着かなかった。パイプを吸うという行為。それは衒示的消費だろうか。要は見せびらかすための消費。だけどな、俺は消尽する肉体を持たないキャラクターにそれを吸わせたいんだ。俺はキャラクターがたくさん出てくる小説を書く。CHAOS;HEADコカ・コーラSTEINS;GATEドクターペッパー
今日、ワンダーエッグ・プライオリティを最新話の7話まで見た。仮想世界での敵「ミテミヌフリ」、現代は仮想世界の中で可能性に向けてデザインすること、拡張し、侵略が連綿と続くポピュラー文化だ。コロナ禍で衒示的消費が衰退したと言われているが、それは間違いだ。SNSなどがある限りは。要はワンダーエッグを見て「なんでもあり」だなと思った。
個人が再創造していく衒示も含む消費される主観性、俺には外部からの課題がない。自分が自分に課している。そして遡行してもそれは行き着く先はやはり空虚なものだ。意味の不在を俺は好む。インターネットという一般的知性の大海にももう倦み疲れた。
私的領域を深めることしかできなくなった境遇を祝福しよう!
俺は機先を制して、桃山を敷き詰め、パイプを吸う。