2023.08.25
05:20
小説のタイトルを思いついた。「根の国」にする。
これに付随して読む本が、まず根の国のネと同じ言葉の次々の変化であるニルヤを含んだ同じく死後の世界を題材にしたニルヤの島と、ヴェイユの根をもつこと。根をもつことは、精神病棟で経験した根なし草の経験にも通じる。根をもつことは、あの世(根の国)に登場人物が出現する条件である。根の国や、黄泉の国は地底の意である。
すなわち、僕が臨死体験で見た、岩漿、あれは地下にあったのか。つまり、僕は地底に流れるマグマを見たのか。そこに入っても死ななかった。不滅だった。
僕は生きながらにして根の国に行き、そこで生前の世界と死後の世界、此岸と彼岸の分岐であるマグマに入ったが、死ななかった。つまり、霊魂は不滅である。
個人や集団や組織的活動の協応すなわちネットワークである根の国に入るには、ネットワークを生前で構築する必要がある。
過去・現在・未来の宇宙の情報を内包している人間は、全宇宙のネットワークを保有している。機械論的な見方、唯物論は意識は脳の副産物であるとみなし、死後の世界を否定する。つまり、根の国を否定する。ゆえに、唯物論は敵である。
トランスパーソナルの領野では、自我を確立してからそれを超えることをしないと、大いなる存在に飲み込まれるという。社会的客観的なものとして成立した自我が、潜在的なもののエコロジストである芸術家のように、主観的になっていく。言表行為である主観性の生産をしていく。
主人公である飯泉新は、人々を根の国に取り込むために奔走する。それがどのような方法論であるのかはまだ知ることはできないが。