闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2023.08.23 小説構想

昨日スペースを開く。臨死体験について話す。どこにでも神がいるというのは神道的だよね、という風なことを言うと、いや、スピノザだというので、エチカを読んでいないことを思い立ち、エチカを読み始める。

0時45分頃、小説のアイディアの輪郭ができてくる。2020.05.04に小説構想(仮)を打ち出したが、これからのものは仮ではない。

大まかにはこう。

 

主人公。青年。人々に接触、会わないと役割習得がされないと焦燥感を抱いている。

人々にあの世で会えることを切望している。

人々があの世に出現する条件、それは役割習得にあると盲信する。

「肝臓が悪いんだ、薬の過剰摂取やアルコールをやったからな、アルコールは今もだが」

あの世は存在する。しかし、自己は、対他的関係における役割習得による内容なのだとしたら、あの世で出会う人は限られ、また感覚的経験が全てである生まれたばかりの人はあの世に行っても〝人がいない〟ことになる。それはニヒリズムだ。それを穿つ理論が必要だ。意識がなければあの世はない。その恐怖。だから強迫的に役割習得をするしかない。現世ではそれしかやることがない。

 

そこで、スピノザの神、実体。独立自存の実体的自己。ニヒリズムを超克する鍵になるのかもしれない。神のある属性の絶対的本性は常に無限なるものとして存在しなければならない。本来的自己であり、絶対無限数の属性。これに縋ろうとする。

「第一部 定理八 すべての実体は必然的に無限である」

これに救いを見出そうとする。

 

また、ここに僕が執着しているアイディアである、もう一つの自我であるナワルというものをどう組み込むことができるか。ゴーストピル・ウィルダーネスというタイトルは破棄するが、ナワルは使いたい。

また、霊魂の永遠性についての本が近々届くのでそれを読む。また、明日はスピノザをまた読み、ミードも読む。

 

僕個人的な立場としても、ミードのいう対他的関係の自己よりは、スピノザのいう本来的自己を望みたい。でなければ、内なる他者が形成されてない、自他未分化状態の自己にとって、あの世はないということになり、生まれて間もないものがすぐに死んだら、残りかたなどはもちろん存在せず、生まれてこなかったに等しいし、あの世でも救われないことになる。これは絶対に否定したい。僕が、やるべきこととしてはこの否定の試み、それに向けて完全なる理論を構築することである。その過程を描くのかもしれないし、理論の完成とともに、僕の小説も完成する。