闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2020.08.17

10時前に起きて、すぐパソコン持って一階の畳敷きの部屋で冷房つけて、文野環のアーカイブを最新から遡って見ようと思って見てたら気づいたら寝てて、起きたのが夕方の16時過ぎで、ひどく寝覚めが悪かった。霊肉一致の霊魂が散り失せて肉体だけになっているような気分であった。地殻、マントル、核で構成される地球。その「地球は青かった」と言ったのはユーリイ・ガガーリン。その「地球は青い」とは、核述語が表す核性質の集合である、その特徴づけが我々に「地球は青い」という思考の対象として代入、共通の認識を抱かせる。しかし、その核性質が特徴付けの適応範囲外である場合、「地球は青い」などということはなく、つまり、1961年4月12日以前は地球は青くなく、もし地球が青いなどというとするならば、宇宙の青が地球に反射し、また地球の青が宇宙に反射し、青を作り出していることになるのが文野環の言うところのものである。
僕は今日夢を見たのであるが、思い出すことができなかった。情報を送り出す突起である軸索の脳への投射、産生神経であるMCH神経などによる働きにより、夢という記憶は削除されるらしい。連関する視床下部、中隔核、海馬は、地球の地殻、マントル、核にも似ている。つまり、僕は青い目を持っているというわけで、その換喩とは、つまり僕は西洋人であるということであり、暗黙の戦略である他者の取り込みを行う。脳細胞の新陳代謝、生化学的プロセスというのは社会の生というドグマに位置する。指標の消失において、あなたはどんなドグマを持っているだろうか。あるいは、西洋人であるこの青い目を持つ私に、持たされているだろうか。存在するという性質は核外性質である。パーソンズによれば、それはフィクションであり、その対象が存在するということには帰結せず、意味論的内容、非存在対象を構成要素に持つ単称命題である。「存在する」とは、実存の新しい界域であり、〈私〉-〈きみ〉という間-人間的なものでしかない。それはありとあらゆる瞬間において境界を脱する。レヴィナスはいう「存在は他の存在について語るべきことを持たない」存在論的な界域は〈私〉-〈きみ〉という出来事である。自閉した一かたまりの存在ではない。相互性は言語によって花ひらくと言っているように、(言語伝達活動を獲得する機会はまず持って他者によって与えられる)また、物語における性質の帰属に依存して決まるということにおいて、核外性質はフィクションであり、存在的なのである。

つまり、こう言うことができる。

〈もし我々はフィクションなのだとしたら、すべては許される〉