闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2020.09.05

「抱え込んでいるのか、呪い続けているのか、呪われているのか」という「できそこない」の空疎な自身のツイートに意志的記憶として飽くなき執念を覚えてしまって、既成の事実をどうにか変えられないかと、(ツイートを削除すればいいという問題ではない、誰が見ていたか、誰が見ていなかったかわからないからそれはあえて残しておかなければならない)英語に翻訳してから日本語に翻訳したりしていたら、「呪い続けていることが呪われる」となった。これがしかるべき形なのだろうか。しかし、それは十数時間の眠りを経て、子午線を太陽が通過する正午を過ぎてから、喜びと快活さを持ってみなが帰宅するように、裏側を見るためには時間の移動が必要で、それはファジーな客体となって現れ、僕はその文言を落ち着き払って、見ることができた。しかし、「呪い続けていることが呪われる」とは一体何なのか、それはやはり空疎なままだった。そこでまた翻訳をしてみた。そしたら「私が呪い続けている物は呪われる」となった。もう一度、またこの関数の遊戯を繰り返そうか、いや、もういい、なんかかわいく思えて来たし。そして、微量分析は拠り所である。私が呪い続けている“物”とは何か。それは家であるように思われる。裁断された癌性の個所としての幾何学の対象としての家。僕はこの家を収縮運動する、両脚をばたつかせて、脱出しようとする。だが、そのような細胞となった家とは幾何学を超越する。それはなんの隠喩であろうか。そして、最初に戻ろう。「抱え込んでいるのか、呪い続けているのか、呪われているのか」という削除可能であったくだらない空疎な文言。その述懐に隠されていたものは、「生まれてしまったことへの罪」である。部屋が暗くなったので、紐で引っ張り、照明をつける。僕は痛みを覚える。その引き紐とは臍帯で、神経はないものの、痛みを覚える。子宮壁(家)の細やかな窓からの透視または視線。18時を過ぎるともう私は精神不安定だ。息も絶え絶えで、私は罪ばかり覚える。本当に苦しい。「私が呪い続けている何かが呪われる」“何か”とは何か。母の家。