闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2020.09.28

こんなに時間が経っていたんですね。またやらかしてしまいました。(Can you feel?)~Most beautiful in the world~よろしく「町一番のブサイクに子供が出来た 何て素晴らしい朝だろう」ならまだしも俺の友達の美男とその妻の美女に子供ができました。面会は主にコロナ関係などで限られてるから、夫はできることがないし、せっかくだから飲もうという話に当日なったのだと思います。友達がご祝儀を用意してる中、経済的余裕もなく、たまたま目に入った発達心理学の本を持って、駅のドン・キホーテでクラッカーを買う。ドンキとなると、自然な流れでod用の薬剤に手を出す。流石にすぐには飲みやしないし、集まっている時は飲まないだろうと思っていたんだけど、とりあえず、一軒目にいくと、飲み放題で酒を頼む。発達心理学の本を渡す、普通に「いらねえよ笑」と言ってました。「これを読むか読まないかで子供がダークサイドに落ちるか、ライトサイドになるか決まるよ」と言っても自分の懐に入れようとはしませんね。赤ちゃんは朝の8時頃に生まれたらしい。「終ノ空」「すばひび」の赤ん坊が生まれる話を思い出さずにはいられない。赤ん坊が生まれた時、赤ん坊は泣いているが、世界は生の祝福で満たされる、でも一人そこで恐怖する、生まれたての赤ん坊は生まれたことを呪っている。唯一できる償いは赤ん坊の首を締めて殺すこと、それができないから大の大人が突っ伏して号泣する。そしてその時、生への呪いが消える。人口50万減に新たな命を産み落としてくれて感謝。店内でクラッカーをやる。咎められることはなかったが、その音はあまりにも大きすぎた。俺の笑い声でかき消そうと思って頑張って笑ったけど。でも大にはならなかった。最後に冷酒を一気飲みして、その店を出た。東口へ、キャッチなどが多く密集してる場所、そこに同級生の店長がいた。その前に一軒を挟んで、コカレロなどを飲んだのか、そしてその同級生の店長の店に。開放感かつ団欒のある円テーブルを中心に、カウンターもある。そこで僕はもうほとんど記憶を失っていた。前来た時とは違う。今日だから、記憶を失っていたのかもしれない。そこで明滅する記憶に感触として残っているのは、薬剤をガラガラガラと、ハイネケンで全部飲んだことだった。そこから先はブラックアウトしている。スマホも財布もない状態で気づいたら家にいた。吐いて、暴れたのか、フローリングが嘔吐物の川になっていた。それを父親が拭いてくれるが、半睡、この状態はまだいい状態だったかもしれない、これから段々と辛くなっていく。僕は一階に行き、猫を執拗に追いかけたり、アイスキャンディーを口に含んだと思ったらすぐにそれを捨てたり、買って来てもらったドクターペッパーとコーラをまた吐いたり、筒状の手もみ和紙を思いっきり投げたり、じっとしていることが不可能になり、ずっと徘徊していた。父親が日曜日で休みで、母親は職場の奉仕作業でいなかった。妹は不気味な行動に嫌気がさしたのか、快活な電話をする声が聞こえ、そして自分の車で出かけた。不快感は消えることなく、どんどん増すばかりだった。大音量で音楽かけてたりしたが、もう次第にそれもできなくなり、「助けて」と反射的に連呼しながら腹を押さえた。そして僕は「企図した」と何回も父親に言った。企図の字がわからなかったみたいで、紙に書いた。それでもやはりなんのことかわからなかったみたいで、首を傾げた。単なる二日酔いの重い症状だと思っていたみたいで、母に電話しながら困惑していた。僕は耐えきれず、ゲシュタルトが分裂・崩壊したような喋り方で救急車を自分で呼ぶ。ストレッチャーに乗り、血圧や心拍数、体温などの検査、気分は最悪だった。そこで僕は薬を一瓶飲んだことを伝えた。そこで父親は僕が薬を大量服薬したのだと知った。精神科に掛かっている旨を聞かれ、病名を求められると、父親は「自閉症」とだけ言った。キャパオーバーだ。父親には理解されない。スペクトラムも知らないんだから。総合病院に搬送されると、ソルライトの点滴と、採血、脈のことを「ほら、ここにいた」と部下に教えている。尿検査。肩で息をし、車椅子で移動して、ベッドに移された。しばらく横たわるが、目を瞑ることがほとんどできない。検査結果は脂肪肝、尿酸値が高いから痛風になる可能性がある、問題視されるべき点を医師は話した。時々、警察か厚かましい男が色々聞いてくる。僕はその声が応えた。耳を塞いだ。いつ飲んだか、なんで飲んだか、形式ばったやかましいことを、その厚かましい権力で持って聞いてくる。もはやその男の声がすんなり入ってこない、なにか異国語のように聞こえるし、そういう過敏な幻聴のようなものが強くなっていった。相手の言葉が翻訳されるのだ。そして僕は、それが怖いのだ。母親の仕事が終わり、点滴を外され、帰ることができるようだったので安心した。そして年嵩の男性の「語感」この「語感」が人の気分をどうにでも変えうる。「脂肪肝を直すには体重減らさないと」調べたら、脂肪肝は可逆的で治るものであるらしかったが、肝硬変になるともうそれは後戻りできないようだった。脂肪肝を治そうと決意した。毎日ビールばっか飲んでるせいか。肝臓と尿酸、それも不健康な飲み方だ。もう勘弁だ。もうこんな辛い思いはしたくない。健康になろう。
それから家に帰る車内でも会話は一切なし。だが、幻聴として響くのが本当に厄介だった。18時台で、僕は常夜灯にして吐瀉物の匂いが蔓延した部屋で眠ろうとした。だが、眠れない。意識が落ちるが、完全には落ち切らない。そしてその反動でまた目覚める、そして、眠るのが怖くてできない。眠剤を何錠も足す。薬剤も肝臓で代謝する。よくないけど、それしかない。もう何時間眠っていないのだろう。眠気はあるのだけど。とりあえずもう僕はこんなこともう繰り返したくない。健康になろう、健康になろう、そう強く思った。

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