闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2023.08.31

昨日は精神不安に侵され、本を読むことや寝ること以外のあらゆる行為を阻害された。本を読むことなんて微塵も想像すらできなかった。精神の安定が潤滑油である。もっと言えば、罪責消滅が。罪の意識を持っていると、精神が不安定になるが、現実感が増大する。罪の意識を持っていないと、精神が安定し、現実感が減少する。

僕は最近まで非現実感に覆われていた。だが、精神が安定していた。ゆえに、意識の量が減るため、本を読むなど行動ができていた。だが、一昨日の夜、母親が夜勤で、父親と二人で焼肉屋に行き、偶然友達と出会い、そこで友達も混じり焼肉を楽しんだ。飲み食いの代金は全部父親に任せることになった。酔っ払った勢いでカラオケに行こうと僕は言い出し、カラオケにも行ったが、そこでも父親に代金を負担させた。罪悪感を求めて罪を犯すという意識はなかった。

昨日親と一緒に食事をして後ろめたいような声調で、感謝の旨を告げると、「ああいうとき、親は払わざるを得ない」というようなことを言っていた。

そこで心を占めていたのは罪の意識だった。明朗快活に感謝を述べることができれば僕はまだ救われたかもしれない。しかし、それすら言えないのだ。元気で朗らかに対応なんてできないのだ。それほど僕は何もしていないのだ。何もしないことを課せられているのだ。動けないのだ。

精神病院に入院しているとき、僕は非現実感に侵食されていた。離人感、現実消失感で辛かった。しかし、そこでは罪の意識はなかった。罪悪感とは世界で唯一のものである。がゆえに罪責消滅の状態では、現実感がなくなるのだと僕は思った。

入院してから、13日目である7月14日の日記で現実消失感を嘆いていた。「自信がないと起こる?万能感の欠如?ナルシシズム(同一であるという再認)と関係?自分以外、いや自分すら生きていると思えない。テレビの中の人、頭の中に出てくる人々、独我論?秩序に対する、調律に対する抵抗?面従腹背ということ」と現実消失の原因として書いていた。

7月15日、13時過ぎ、また非現実感に襲われた。「鉛のよう。思考や身体が重い水中を歩いているよう。現実消失とは受け入れられない事柄がある時に起こる?変えたくても変えようのないもの。本当に今までに戻れるのか、今までの世界があるのか」

 

本当に今までに戻れるのか。今までの世界があるのか。

 

今までの世界は〝あった〟。それは容易に取り戻せた。入院生活で抱えていた強烈な現実消失感で、一生の問題意識として抱えていくだろうなと思っていたものは、安易に破壊できた。それは〝罪悪感〟によってである。

世界の非現実感とは、世界の唯一性である罪悪感がないことの表れである。精神病院は徹底した管理によって主体性を根こそぎ奪い取るということによって、根を下ろすということができなくさせる。その非道とも言える扱いにより、罪悪感を感じさせないようにさせる。病棟の中で罪を犯そうと思っても犯すことなど想像をするのも難しいことである。

しかし、これが病棟から放たれ、他人を自分とは違う存在と見なす、孤立無援の意識を持つ自由の身になってみると、罪の意識を容易に感じやすくなるのである。

人は他人と同じ条件の下に生きていない。しかし、入院中は同じ条件の下に生きているように錯覚させた。集団的に管理され、目的は退院になり、罪悪感に付け込まれる隙もなかった。しかし、一人というのは罪悪感の餌である。タブーを維持する心的装置である資本主義は罪悪感を増大させるということは言うまでもない。

だが、両親に金銭を負担させたりすることなどによる罪悪感は、非現実感を打ち砕き、現実感を生じさせる。何度も言うが、世界の現実感は〝世界で唯一のもの〟である罪悪感と同じ根を持っている。だからどちらかが傾くと現象は起こる。

罪の意識を消すと、非現実感が起こり、罪の意識を生じさせると、現実感が起こる。

今は後者であり、行動することもままならなくさせる。誰かのせいにしているわけではない。この解消法としては、物理的に周りに誰もいない環境を作ることである。