闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2020.11.07 文野環

今日の16時、午睡状態でいたら、文野環からフォローがなされて、嬉々としてスクショをした。ツイッターのアイコンを猫のコスプレをした南ことりに変えたからだと思う。僕の緩慢な時間に速度に対し、別人のように俊敏な速度に変えてしまった。文野環についてちょっと喋ろうと思う。最近あった出来事として乳首に洗濯バサミ耐久がある。「性的満足を意図した露骨なコンテンツは、YouTubeで許可されていません」というポリシーに反していたかは実のところ不明だが、配信活動とは、任意の整数における駆け引きのようなもので、それを行ったとしても結果的に任意になる訳ではないと言うところが問題を生む。文野環の放送スタイルとしては、全てがそうでないと思うが、365日送られてくる占いの結果、それが叶ったら配信をするというものであった。コラボ配信直前、占いで星が0個であり、散文的な予測に、本人曰く「頭を操作されている」と観念的になっている部分も見受けられる。「スーパーの中で切り身を食べながら配信をしなければならないのではないか」「火災報知器を鳴らしながら配信をしなければならないのではないか」など、緊張感ゆえに遊戯というオアシスを求めていたのではないか。この点でイロニストもしくは犬儒的主義である文野環は危険を冒してまで、自分なりの美徳を味方につけようとする。そして、イロニーは充足したと思われるイキリキャットの半睡状態から、推移的に無意識を意識へ生産され、反省が生じる。無限に折れて行く二つの知性、しかし偽言家は現実の諸矛盾を自由に制御でき、遊戯を可能にし、イロニーとはまさしく航空するのらジェットの揚力のようなものである。イロニストでは悪意は含まれないにしても背徳主義自身が、文野環の解毒剤となる。つまり、信用を得るためには、瀆聖が必要なのだ。そして、犬儒的主義は浮かんでは拡散していくスキャンダルをある合理的な定式へと変化させる。それが「点P(=乳首)」である。そして、楽しいを共有したいとの理由で、即ち、同種療法(ホメオパシー)によって、視聴者に点Pをツイッターにリプライさせ、不正を相殺させるというもので、参加型の多数の共通意見を取り入れるふりをする。いちからへの慣習順応主義だが、犬儒主義とは相反するもので、犬儒主義は分裂傾向のある意識である。マネージャーに「アイドルだって体張る時代ですよ」と言った文野環はスキャンダラスたろうとする傾向を持ち、そして罪の充足のため奔走する。「伝説」とか「天才」とか言ってもらえること、言われなくなることが恐怖であると思っているであろう文野環はミリオンダラー・ベイビーの舌を噛むマギーと重ねてしまったが、四方八方どこまでも伸びて行く、唐草模様のような猫であって欲しいと思う。