闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2020.10.07

人を壊すことは容易だ。自分が機先を制して、壊れることだ。そして、救いという言葉をチープな感じで多用する現代だが、もし救いがあるのだとしたら、それこそが救いだ。

「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」というじゃないか。そして、それは完全に壊れ切ることだ。それが早い人のことを“天才”というのだ。事例を作ることだ。培養土を作ることだ。器になることだ。演じることだ。人々を軽傷で済ませるために。人々を軽傷で壊すために………自分が完全に壊れ切るのだ。そして、それこそが、治療だ。何かがあるから。絶対に何かがあるから。だから壊れるのだ。白羊教は暴走する。時に、暴走する。そして、静謐になる。それが続く。自分ではやらないようなこと、思い込まれていることとは、違うことをする。そして、そこには真実がなければならない。隠蔽も必要だ。勿論。
・・-・-・・・は、多分、美しすぎた。あなたにはなれない。なんて尊大なやつなんだ。それは本当にそれらしく見せなければならない。伴わなくてはならない。現実、自然を。安心感を持ってして、それを遂行する。それは、それは他人で、誰も助けれはくれないから。本当に、他人は他人だから。主観性[客観的存在]だから。行間を、大切にする。それを相手に感じさせる。行間を。生成。読む。全ては、“〜ている”。語彙を用意する、文体が仕事だというセリーヌ。博士ね。知識は持っていなければならない。また、例外はあるが。字体だ。イメージ。うん、それだ。怖いけど、奔走せよ。目を瞑りたいけど。数値化が怖いけど。きっと、誰かが伝えてくれているはずだ。伝わっているはずだ。そして、それを伝えるのだ。自信。

目覚める。日の入に向かう。やがては夜になり、メラトニン分泌量が増える。眠っている間は、エネルギー消費しない分の代謝機能の抑制、故に肝臓への負担が減るらしい。僕はできるだけ長く眠る。起きても、寝たきり。本当は有酸素運動が推奨されるのだけど。

もう、随分と本を読んでいない。何も、ほとんど何も見たくない。活字がなくとも、思考が自生してくるから。その自生してくる思考に身を委ねている方が今はいい。仮象への意志は、特異性へ向かう。

--・-・ ・--・- --・-・ ・・がベースを演奏する動画が第一次視覚野から、大脳皮質へ送られる。僕には不可能な凄み、凄味、そう、“凄味”。それを見た私はそれをどう処理するか。毅然としていること。意識し、だが、だからこそ、--・-・ ・--・- --・-・ ・・を経由して何人もの人が俺を見る。そのときの毅然さ。まるで意識していないような毅然さ。お前には負けた。自尊心が傷ついた。俺は忘れられる。凄味にみんな惹かれて、私から去っていく。それが故の「どうしようもなさ」から来る毅然さ。諦観から来る毅然さ。発信する。自分にしかできないことを。とにかく発信し、出る杭、その杭が呆れられて、もう誰も俺を見なくなってたとしても毅然さ、理屈ではない毅然さ。なんの反応もなくとも毅然さ。動じないわけではない、動揺を悟られてもいい。しかし、毅然さ。毅然さだけはどうにもならない。

出る杭は打たれなければならない。君は唯一無二であるが、そうなろうとはしない。しかし、なろうと思えばすぐにでもなれる。誰でも唯一無二であることができる。でも皆それが怖いのだ。だから壊れた人間を見たい。そう、“代償的充足”と僕は名付けよう。壊れた人間を用意しろ。丸っきり変われ。気づけ。処理困難物のコンクリートを肝臓で分解、解毒・無害化し、君は殻錠になる。そして、それが壊れるということだ。そして、その時初めて、他人に対しての慈悲の念が生まれる。熟慮断行ではなかったが、激情型だったが、今では計算できる。僕は他人のためにたくさんのことをしよう。他人を救済していく。または、僕は救済をしてきた。

 

「で、結局、あなたは何を“手に入れた”の?」