闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2023.04.04

僕は多分もうすぐいなくなる。
そして実際に火葬されるところを思い浮かべるならば。
ああ、これは楽だ。僕の世界だ。
僕の場所だ。僕はここでならなんでもすることができる。
ベンジー・コンプソンの白痴のような語り、声。
僕はさ、もう手遅れを感じる。
人は僕のことを思い出すだろうか。
そしたら、どんなことを思うだろうか。
僕にとって良い反応であってくれるだろうか。
指が硬直しているため、それは震え、両手の人差し指で打っている。僕は臭い、汚い。醜い。だが、何かあるだろうか。
人は俺を見て、どう思うだろうか。そればかり考えている。
晩年だとして、僕は最近急にこうなった。
何があったか。酒?体調が悪くなった。
この、磊落のいを作ったさまざまな人物は。そして、それを作る意味があったのか。僕は磊落のいを作った。
そして、終わらせた。もうツイッターには呟かない。
でも、最後にブログを投稿するかもしれない。
僕は火葬される。そして、予期している。その瞬間が怖い。
心痛であるだけなら、まだマシだ。だが、一番怖いのは、身体的痛みだ。それを想像すること。それは恐怖だ。僕は本当に怖い。痛みが怖い。身体的な痛みが怖い。それを想像しなければならないことから、僕は親に対して、さまざまな言葉を発した。ただ、僕は想像から、言葉を発した。
そんなこと誰もしてこないのにもかかわらず、僕はそれを想像する。昨日、僕は親を休ませた。そして、目の前で酒を飲んだ。脳を麻痺させること。そしたら死ねるかな、みたいなことを言った。生まれてこなければよかった、などと言葉を発した。首吊り自殺したいと言い、ビニール紐を首に巻いて、引っ掛けフックを見つけ、それにかけた。母親が、犬の散歩みたいと苦笑していた。
僕はもう本当に死ななければならない。そういう人物を僕は作った。それは、磊落のいだ。なぜ、そんなものを僕は作らなければならなかったのか、不明、明確にはわからない。
磊落のいは誰によって、作られたか。なぜ、その文脈に突っ込んだか。死ぬ人物を作ったか。わからない。
僕の肉体は欠陥品だ。生殖能力もないと思う。一生、性行為をすることもないだろう。風俗にも行かない。僕は散々、身体に悪影響なものを取り込んできたが、性病は怖い。まして、僕の小さいペニスを見られたくない。性病は、その危惧は観念となって、付き纏う。梅毒を想像して発狂したとされる人物のように。
嘲笑されるに決まっている。だから、せめて文章は美しく、とは言ってもコクトーリルケのような華麗な形式ではないが、体裁を保とうとした。僕は文章なら書ける。そして、それを残してきた。それを見た他人はどう感じるだろうか。いつか、僕をわかってくれるだろうか。理解してくれるだろうか。僕は肉体がいらないが、肉体がなければ書くことはできない。クンストカメラの奇形児たちは、もう死んでいるが、あの肉体で死んで、その後どうなったのだろうか。精神は彷徨しているだろうか。僕には魂などあるようには思えない。あの奇形児たちに。子宮内膜を掻き出して、もはや命あるものとは思えない人物に、魂はあるのか。そして、もし酒井翼が死んだら、魂はあるのか。掻き出されたものは一体なんだったのか。ただ、精神の分子は、生きている人間にのみ、与えられる。全ては欺瞞だ。無だ。なのになぜ生きている。僕は肉体がひどくなっているのを感じる。死期を感じる。病院にはもう行きたくない。CTを撮り、大動脈解離で心臓の手術する可能性が高いですと言われた時、怖すぎた。結果、大きな病気はなかった。心臓血管外科、心臓外科に救急車で運ばれた時、生きた心地がしなかった。ただ、もう本当に蒼白になり、恐怖心で気が狂った。その前、手術中は尿が垂れ流しになるから、管をつけるということを言われた時、ちょっと待ってほしいと言った。もう拒絶反応で、筆舌の尽くしがたい恐怖を感じた。体験したことのないものを僕は体験したくない。本当に怖い。身体を拘束されたり、背中に板を入れられ、診察ベッドに身体を移される時など、最悪だった。僕は他人が攻撃してくると思い、恐怖心で、病院内をのたうち回った。全員が怖くて、怖い、怖いと言いながら、病院の床に倒れたり、誰かが近づいてきたら、反射的に身体が防御体勢に入り、逃げ回ったりした。床に唾液を吐いたりした。血が混じっていた。そろそろ、病院に朝の診察の人が来るからと諭されて、僕はなんて惨めなんだろうと思った。病院では何もできることがないと言われた。早朝か、そこらで帰った。肉体は歪曲し、身の置き場所がなく、ただただ落ち着かなかった。僕はもう食べ物が食べれないと思った。食事拒否して死んだアルチュセールのように、そうなればいいと思ったが、今日は親子丼と、バターチキンカレーを緩慢な不自然な動物みたいな動きで食べた。僕はもう身体に力が入らない。お風呂に入ったら、また身体的な痛みと想像によって、緩慢な歪曲した動作になった。家族は食事をし、そこでの沈黙も交わされている言葉にも脅威を感じた。僕は何で、こうなったろう。決して、昨日は酒を飲みすぎたが、薬を大量に飲んだりはしていない。なぜ、こうなったろう。それは喉の違和感、汚い肌、でっぷりとしたお腹、そしてそれはもう不可逆なのかもしれないという強迫だ。圧迫だ。僕はアニメーション作家のような職につきたかったが、どうすればいいかわからない。そして、その環境に引っ越しをすることを考えたが、資金はどうするんだ。俺はあとどれくらいこの劣悪な環境にいなければならないのか。この異相。この空間で思考することがもう頭打ちのように疲れた。
俺になんの価値があるのかわからない。

今まで僕がやってきたことは、磊落のいを作り、それを殺す物語だ。磊落のいの死、それが一縷の望み。そして、なぜこうも僕はまた更に自分を惨めにさせる文章を書かなければならないのか。磊落のいは他人を不快にさせる。幾度となく、僕から他人は離れていった。

僕は磊落のいを殺す物語を今、歩いている。そしてそれを想像する。それが目的になる人生をなぜ歩まなければならなかったか。なぜ、僕は磊落のいを産み、殺すことを選ばなければならないのか。でも僕は健康的である人物をもう作れない。僕は、誰なんだ。