闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2020.08.04

起床し、「飯の時だけYouTubeアイマス観てるんですが雪歩ッ!!!なんて愛らしい女の子なんだ!!!僕が守ってあげたいッッ!!!というクソ童貞思考になりました」というツイートを発見し、「雪歩は俺のもの」と返したら、「雪歩のことを俺のものって言ってる時点で雪歩に近づく資格はありませ〜んw」という嘲笑じみた文章が送られてきて「なごり雪」のように、列車の窓越しに別れ、残された男性の側のような気分になってしまった僕は、俺が萩原雪歩とどれほど仲睦まじくやってきたか、また成長させてきたか、という観点から、矢も盾もたまらず、裂開された雪歩と俺の間柄を取り戻そうと試みている次第である。

雪歩との出会いはおおよそ8年前の17歳の頃であり、「こんなダメダメな私、穴掘って埋まってますぅ〜」が話の最後で口をついて出てしまう彼女を「雪歩ーーーーー!」と言いながら止めさせるのが僕らの定例であった。そのネガティブな側面においては、速やかに滲み通る雪歩であったが、その穴を通って滲み通り得ないオリーブ油のように、縺れ合った分子を速やかに分離することができない雪歩は拗れていき、次第に病み切っていくが、しかし、「雪歩は雪の上を歩くように、一歩ずつゆっくり進んでいけばいい」という僕ことプロデューサーたる言葉に対し、その分子と夢の真の綜合は、宇宙(コスモス)に浸透し、自身の持ち歌であるKosmos, Cosmosのように、跳び出していく。苦痛に対し、泣くことしかできず、涙に溺れるその水という雪歩の有機的象徴のその水分子はやがては結晶成長し、「無限と宇宙の彼方」というポテンシャルがあったことに自身も驚かされ、相対性の中でしか自己を確認できない僕らは、肝胆相照らし、穴は掘らず、足場を組んで生きていくと決めた彼女を、「新しい自分に生まれ変わりたい」とアイドルを目指した彼女を、一番近しいところで見ることに決めたのである。

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