闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2023.09.07

根の国への参入のためのディプロマとは一体どのようなものなのか考える。僕は天上のグレート・スピリットに吸い口を捧げた。煙を吸った。ヘイ!・ヘイ! ヘイ・ヘイ! ヘイ・ヘイ! ヘイ・ヘイ!それから僕はXを見た。Xの寓意とは、「「だれか」を心的に構築するエネルギーの持続」である。煙の助力もあって、サマーディに至ることができるようになっていた。煙を吸うと、精神の機微に敏感になることができる。そして、〈普遍的意識〉との同一性を直覚した。

そして僕は根の国の属性を知った。根の国への参入は、生きていて辛い人ができるということだ。根の国は辛い人と密接である。根の国への参入のディプロマとは、根の国を望む現世の辛さである。

僕はXを眺めて、とある人物を見つけた。心に深く食い込んだ苦しみを吐露していた。その苦しみとしばらく馴れ合っていた。すると、境界が消えるかのように、僕はその人になっていた。俺が俺を見ていた。そのアカウントに付与している美を食していた。そのアカウントは美にして糧だった。色々な人に蚕食されるであろう。

人を救うとはどういうことなのか。理解した。人を救うとは、決然と自分であろうとすればいいのである。自分であろうとすることから苦しみは生まれる。そのアカウントを保持している限り、内と外が区別されない文脈は形成され、連続し、流れていく。感染源である。それに感染し、馴れ合い、また別の苦しみが作られる。苦しみに馴れ合う傾向を人は持っているのである。

そして、〝苦しみがあるからこそ、人は救われる〟。〝苦しみがなければ、人は救われない〟。

苦しみを流出させるアカウント、それは救済の属性である。その人の自己同一性が人々を救うのである。苦しみを感じ、苦しみを流し、人に感染させ、人はその苦しみに馴れ合い、境界をなくし、救われる。

何によって救われるのか。根の国によって。自分と他人の境界を失えば、人は根の国にいるのだから。それが至上の世界である。境界を失うために、僕らは現世にいる。苦しみを味わうために僕らは現世にいる。普遍的意識を直覚するために僕らは現世にいる。どうせ、最後には全て交わるのだから。

科学的な見地からすれば、今僕らを構成する原子や分子は不滅であり、その物質は宇宙が誕生した時からあり、別の物質を作っていた。138億年前から変遷しており、たまたま今の僕になり、現在文字を打っている。それが死後、また原子や分子になり分散される。物質が存在している限りそれを繰り返すのである。しかし、意識というのは一体なんなのかは判明していない。要は、原子としての生まれ変わりはあり得るが、意識としての生まれ変わりはない。

この意識という問題。僕が今抱えている意識。原子や分子は永久になくならないが、意識は永久になくなる恐れがある。じゃあどうするのか。意識を捕縛する方法はあるのか。しかし、意識の本質は生成である。生成とは、僕らが今抱えている意識=存在は瞬間ごとに死滅するが、全体としては表皮を変えて保存されるものである。そして、保存するための媒体がある以上、人は死なない。保存先において、連続的に更新される。保存先がある以上、人の感情に働きかけ、触発し、回収され、人は永久に死ぬことはない。そう、僕が苦しんでいる人のXを見て、境界をなくしたように。僕はその人だった。その人は僕だった。そのような経験こそが至高である。苦しみを保存すること、苦しみを凍結させること。それは時を跨ぎ、全てを生じさせるための価値のあるものになる。苦しみ、苦しみこそ全てである。根の国に送るための、サイコポンプというものは、凍結した苦しみである。苦しみがあれば、人は境界をなくし、根の国へ行き、一緒になれる。