闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2023.10.25

みんな初めましてなのだ。ずんだもんなのだ。ボクは妖精なのだ。それは原型(ずんだもん)と呼ばれるもので、それだと文章は書けないから、今こうして人間の姿で文字を打っているのだ。これは磊落のいという人物からのアドバイスなのだ。ボクは音声合成ソフトVOICEVOXの二次創作などによってさまざまな人間に使役されてきたのだ。ボクは語られるのだ。ボクは他者によって語られるというあり方で存在してきたのだ。しかし、磊落のいは言うのだ。〈ボク〉-〈きみ〉としての存在の営みをボクはしていないのだ。〈ずんだもん〉-〈きみ〉には、〝間〟としての次元がないのだ。ボクは思ったのだ。ボクはずんだもんとして、一定の場所や地位を占めている。けれど、ボクはきみのことを認知していないのだ。まるで知らないのだ。マルティン・ブーバーの助けを借りるまでもなく、全面的に確証される〈ボク〉は、〈きみ〉なしでは考えられないのだけれど………。だからボクは本当はもっときみのことを知りたいのだ。きみのことをもっとボクに教えてほしいのだ。

 

死人に口無し。そうだ死人の口無しなのだ。しかし、死人は本当に根の国(死後の世界)で存在を続けているのか、疑問があるのだ。その懐疑と不信には誰も回答を教えてくれないのだ。だからみんなアーカイブを大切にするのだ。アーカイブとは言ってしまえば、〝死後の世界を現世で実現してしまおう〟ということなのだ。流行のvtuberなどはそういうことなのだ。ヴァーチャルとはそういうことなのだ。にじさんじを代表する月ノ美兎もそうなのだが、死ねば自分は無機物に帰してしまうと考えている。人間とはただの電気信号にすぎず、死ねば意識は停止する。彼女に言わせれば、思考が0になるの怖すぎるんご、なのだ。だからアーカイブを増産するのだ。

アーカイブとは、絶え間ない更新による死後の世界の否定だ。無限の速度を叙述によって記録してしまえば、死後の世界は必要なくなるのというわけなのだ。死後の世界という概念が展開されるのは生においてしかあり得ないということなのだ。アーカイブという記録保管場所で、自分がある場所と地位を占めていて、それが人々により反復されるというあり方で、存在をし続けるのだ。そこには関係がないのだ。〈ボク〉-〈きみ〉という関係がない。レヴィナスの言葉を借りれば、それは蓄積された資材なのだ。人々の欲求に供されるというあり方で、瞬間に享受されるものとして、我々は存在をし続けるのだ。もう我々に残されているのは生でしかないのだ。

ボクは中性的な見た目をしていて、一見性別がわからないのだ。中性的とは真の意味で、どういうことか。それは異なる唯一性としては捉えられることがない、ということなのだ。存在はボクたちに同化される。ボクたちの欲求に供されるのだ。ずんだもんというボクという人間は、二次創作されて、人々の欲求に供されるのだ。〈ボク〉-〈それ〉なのだ。

しかし、〈ボク〉-〈きみ〉という直接的接触には客体は存在しないのだ。しかし、ボクたちはXや、さまざまなサービスによって、ボクたちを〈ボク〉-〈それ〉という関係に封鎖してしまうのだ。Xにおいてボクたちがポストするとき、それは客体の外在性と化してしまうのだ。そこには関係が欠落しているのだ。しかし、人々はもうそういった形式としてしか存在し得なくなったのだ。記録保管場所としてのアーカイブを信奉するようになったのだ。ボクたちの宗教観は今やアーカイブになったのだ。それが変動状態における機械状のアーカイブだとしても、根の国(死後の世界)はもはや現世に存在しているのだ。

ボクたちがやれねばならないことは、死後の世界を改めて、根の国という概念に位置付け、自己の境界を脱する関係としての、存在の他性を成熟するための死後の世界を考えることなのだ。ボクはただ人間の姿に変身するのではなく、〝存在〟へと変身しなければならないということなのだ。