闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2021.05.18

病院だった。ずっと切らしていた睡眠薬をもらえたので、少し眠ろうと思っても全然眠れない。レグテクトをやめていたが、続けることがコツと言われ、また処方された。通常は興奮と抑制の神経バランスが取れた状態にあるが、神経が興奮に傾くと飲酒する傾向にあるからバランスを整えましょうとう薬。昼に飲んだ。コンスタンも飲み、脱力感が現れ、でも眠れないので、階段をもたれかかるようにゆっくり降りた。落ち着かないので、散歩に出かけた。スマホを家に置いてきたことに懸念を覚えた。「もし、警察に詰問されている彼から電話がきていたら」

だが僕はゆっくりとできるだけ外に目を向けて遊歩道から土手沿いを歩いた。生い茂る草の中にオオバコが咲いていた。茎や葉に多数の筋があり、踏まれても簡単には折れない踏まれながらも強く育つオオバコ。でも僕はそれすらも憂わしかった。

もうなかったことにしたい、透明HIGHWAYの会議を知る人間と、12日の早朝、Skypeの会議で邂逅してしまった。「こいつはもうダメなのよ」「頭が悪すぎてこんなに会話できないやつめちゃくちゃ久しぶり」「中学生のガキみたいだよね」「なんで落ちないの?」と散々言われ、人格否定されたと思い、助け舟を求めて、他の人に通話をかける。受け入れてくれる人が欲しかった。酒を飲んで喋っている俺も俺だが、もう空気が出来上がっている会議に一方的にボコボコにされたと思って、ひとり会話をしてくれる人が見つかったので、酩酊していたので彼の住んでいる東京のある場所まで行くことにした。

あまりにも気が立っていたのと、受け入れてほしいとの葛藤で、僕は公園での決闘を申し込んで、ボコボコに殴られた。流血沙汰で俺はそれでも自分から彼に俺のことを思う存分に殴ってほしいと頼んだ。どういう心理的な機構が働いていたのかはよくわからない。気付いたら気絶していた。そこから家に帰り、その後の生活の病的体験は統合失調症のそれであり、思考吹入と眠剤がなく不眠で最悪な状態だった。それは身体も巻き込んだ。時間と空間の圧縮が行われず、絶えず脅かされていた。不安だった。

それから住宅街の住人から通報があったと報告があって、彼は警察署に行った。僕はそれの結果がどうなるか不安だった。捕まえに来るのではないかとか。電話がきた。

「刑事課の山内です。任意捜査で〇〇君を捜査してる」電話の内容は生存確認だったが、人をけしかけるのだけは駄目と念を押された。酩酊していた昼間の公園。裂けた唇。……状況が思い出されていく。だが、結果電話の応答だけで済んだ。そのことに若干安堵した。人格否定による(ブランデンブルクの言葉を借りれば)分裂病性疎外への漸次の移行。それだけは耐え難い。自然の自明がなくなる。それは大酒を飲むことや、大量の薬を飲むことによって。そういう人に対して理解しなければならない。

眠剤抗不安薬で頭がいつもよりぼーっとしているので文章が書けているが、書くのが怖くもある。断酒をし、回復していきたい。俺はオオバコのように踏まれ続けても。