闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2023.12.01

僕は人に会いたくなかった。嫌人症がでた。布団の中でとにかく呻吟した。他人というのはよく映る鏡であり、偶然それを拾ってしまってそこに映った顔こそが自分であり、それは透明とは真逆であり、僕の望みとしては物を透して向こうの物が見えることなのだが。透明の対義語は混濁でもない。透明の対義語は獣だ。メディアの発達とは、人間は天使ではないということである。メディアに自分を投入する。言葉というのは心の内で懐胎されたものの受肉された姿。その言葉という記号を用いるのは肉体という覆いを持っているからである。天使から断絶している自分の確認、Xでポストすること。バルトのテクストの楽しみはまだ読んだことないが、テクストの楽しみとはテクストとセックスすることなのだろうか。露出狂的な他者の目線に依存するセックスは大文字の他者に言及する行為。しかし、まだ僕はセックスを一度も経験したことはない。正真正銘の童貞である。

僕は哲学病で、私的自己意識にばかり目が入っているのか、公的自己意識は雑な気持ちであるが、人に会うということは、公的自己意識を考えなくてはならなくなる。毎秒、公的自己意識を考えなくてならないのが苦痛である。普段酒を飲んで、私的自己意識に陶酔していればよかったのに。

電車で新宿へ向かう。重い目で。酒を飲み。

 

この世で人類が志向している目的というものはすべて、この達成への絶えざるプロセスにのみある。言い換えれば生そのものの中にあるのであって、目的自体の中にはないかもしれない。」
(『地下室の手記』、光文社古典新訳文庫安岡治子訳、2007年、p.68)

 

この文言こそ僕が完全に信じ切るところのものである。そうだ、絶えざるプロセスが楽しいのであって、そのプロセスに遊泳している時が楽しいのだ。プロセスの遊泳!目的自体を達成してしまってはつまらない。その目的自体を達成、たとえば人に会うということ、それは数時間後になされる。そして制度的企画に従うように昼食を食べ映画館に行き、映画を見る。それを考えたらもう何も面白くない。目的自体が数時間後。何を発見するかわからないまま哲学的思考に耽って、酒を飲んで私的自己意識を充足している時が楽しいのだ。意識の麻酔状態だけしか僕は望まないのだ。他者、他者とは自分の顔が見えるということの地獄図なのだから。僕が自分の心的外傷体験を元にした小説、地獄の辺土を執筆しようとしていたとき、2007年に設定した12歳の少年を、僕の無実だと思いたい過去、無垢なころの本来の体癖に従って生きているだけの少年が、教育機関に断罪されるとき、それを執筆しようとしても苦しすぎてできなかったのは、少年という天使。その天使への憧憬。その憧憬に筆を走らせる。無垢な頃の証明。誇示。そんなことをしている自分、天使を模倣しようとすれば獣になってしまうという。そう、執筆することは自分が絶えず獣であることと認識することだった。だから難航した。トーマス・ベルンハルトの消去という小説を読んだことないが、どんな感じなのだろうか。身体を消去しようとすること、天使に憧れること。

 

人に会い、映画館に行く。3回目のゴジラ-1.0だ。ゴジラロードを通り、映画館に入る。IMAXで見る。どれくらいすごいのかわからないが、とにかく重低音がすごかった。胎内音に周波数が近いのか、眠くなってしまった。小笠原諸島で木造の船を襲うゴジラ。海の中を自由に遊泳するゴジラ。銀座で地面に大穴を空ける穿孔的なゴジラ。海中の遊泳と地中の穿孔。淫欲という再生願望、交接という母体回帰。ゴジラは海中から地中に上がってくる。大地、母体から芽が萌出るという再生の軌道?ああ、眠くなってきた。実際、僕は何回も寝かけた。羊水にプカプカ浮かんでいるようだ。

映画が終わり、「羊水にプカプカ浮かんでるようだった」と言うと、「気持ち悪い」と長いエスカレーターを降りている時に言われる。

それから一緒に映画をみた人は帰るらしかった。丁度昨日、ディスコードの会議で出会った女の人と17時に待ち合わせをしていたのだが、映画が終わって17時ぐらいに東口で待ち合わせの予定だった。しかし、その人から連絡がこない。その人もいるなら一緒に少し飲むか、ということだったのだが、会う約束をしていたその22歳の女の子は結局寝ていたとのことで、今日は来れないということだった。

僕は一人になる。疲れていたしここで帰るのもいいけれど、なんか物足りなさがあった。飲み屋で酒が飲めていないじゃないか。せっかくレモンサワー50円とかハイボール100円とかの店があるのに。僕は一緒に映画をみた人を駅まで送っていったら、特に何の目的もなく、新宿の街の方に向かう。トー横を見てみようと思い、そこへ向かう。場所を取った二組が集団で酒を飲んだりする。ストゼロの林檎ダブルがある。俺がいつも飲んでるやつだ。一瞥するだけで、僕は路地沿いを歩いた。その路地の人が話しかけてきた。「今デリヘルがおすすめなんですけど。1000円単位で…云々」しかし僕は気にせず路地沿いを歩いた。この歌舞伎町の。どこかの飲食店に入ろうとも思い至らなかった。ただ盲目に歩いた。会おうとしていた人が来なかったという暗い顔だった。会おうと思っていたのに。昨日通話で「朝まで酒飲んでくれますか?」と言っていたのは何だったのだろう。可能性が消尽されてどこにも定位できず歩いている。「楽しみだな」とか言っていたのは何だったんだろう。好きな酒はメロンボールだと言うから、メロンボールを飲める店どこかあるかなと言ったら「大丈夫ですよ。別に違うの飲むので」と言っていた。誰かと酒飲めると期待していた分、消化不良だった。僕はなんかまた引き返してさっきのキャッチ、デリヘルを勧めてきたキャッチにもう一回自分から話を聞いてみようとした。歩いていった。代理的に解消されたかったのか。とにかく機械的に歩いていった。すると、さっきとは別の人が拳を突き出してきて、僕はその人に拳を突き出してなんかのコミュニケーションを取った。「これやってくれる人なかなか少ないんですよ〜」とその男性は言う。僕はかすかに笑う。相手はキャッチという形式における意識の内容をただ僕にぶつけてくる。「どこから来たんですか?」たまたま地元が一緒であり、その符合に喜んだのかその地元にちなんだトークをしてくる。それこそ風俗の。風俗がメインの会話。「せっかく歌舞伎町来たのなら遊んでいきましょうよ」とその人は言う。僕は物質的恍惚におけるル・クレジオの言葉を思い出す。「ぼくは変装している。ぼくはぼくのうちにある一本の神経の中にそれらを宿している。来た 来た。拡がりがやって来た」

変装しているのだから、いいか。僕は変装しているのだ、と思うに至った。予算の旨の話をされ、一万円くらいですかねと言うと、ピンサロは五千円、ヘルスなら八千円くらいでいけるといわれ、一万円なら予算で何とかやってあげるよと言われ、僕は、なんか、いつものようにこれから帰るよりも、もう最期を待つ人のような気分だし、変装しているのだし誰かに、ならばいいか、と思った。拡がりがやって来た。これも拡がりなんだ。そして僕はその男性について行った。ああ、なんてこれ地下室の手記なんだ、と思った。地下室の手記の主人公のネクラーソフも抑え難い激情、その消化不良の心を持って、風俗に行っていたな、と思った。地下室の手記だぞ…地下室の手記的な展開だ…と思った。路地沿いを少し歩いたところにレンタルルームがあった。そこに入った。

入るなりもうすぐに「一万円もらっていい?」とその男性は言う。それが冷酷な感じで、さっきの親しんでくれた人とは豹変するかのように感じられた。「前金で一万円ですね。六十分コース。ホテル代と払っちゃうからさ」僕はそこで一万円を払う。レンタルルームは狭く、入って正面には自動販売機がある。その男性は「これでジュースでも飲みな」となぜか500円玉を渡してくる。「優しいですね」「いやいや、その地元に人間優しいだろ」

僕はシャワールームがある一室に入る。「女の子すぐ来るから部屋で待ってて」扉が閉められ、僕は、落ち着かなかった。とにかく帰りたい、嫌な気持ちが喉元までせり上がってきた。「グノーシスが性的世界観である以上、性的欲望・性的快楽にはこだらわなければいけない事情がある」というような文言を思い出し、俺はグノーシス主義者だ、なんて考え安心しようとした。自分の存在を呪い、世界を呪っているんだ。天使になれないから、呪詛しているんだ。物を透して向こうの物が見える透明になりたい、消えてしまいたいと思った。僕は待たされた。空間の束縛を人々は逃れられない。

やがて女の子が部屋に入ってくる。「失礼します。お願いします。はじめまして」「初めまして」「先にお風呂で、シャワーで身体洗ってもらうんですけど。脱いでもらって大丈夫なんで」僕は、それに従い、服を脱ごうとするが初めて女の人の前に服を脱ぐので緊張したが、衣服を順次下ろしていく。「いいよ。脱いじゃって」「あ、はい」「お兄さん今日はお休み?」「あ、はい」僕が高円寺のエキゾチックな店で5000円で買ったサイケな服を見ながら、「なんか民族っぽい感じの服だね。こ、こういう感じが好き?」「あ、はい」「そっかそっか」服を全部脱ぎ終わる前にシャワー室に入る前にお手洗いにその人が行くというので、全裸になりシャワーを浴びる。不思議と緊張はしなかった。なぜか。タブー、見えるものと見えないものの往還。なんか楽しいぞ、と思った。シャワーで体を洗い、パンツだけは履いて待ってようと思ったが、見えないものが見えるものになっていた。女性は戻って来ており、小さい局部を見られないような姿勢を取った。そこでも女性は「何時位にきたの新宿?」と言葉を浴びせかける。緊張しないようにしているのか。言葉という人間の環境と経験の全体に高速度で及ぶものと、今の状況に混乱するというよりは、なんか初めてのことに人知れず愉悦した。なんか楽しかった。意志を持たない自動機械なのか。受動的って、なんかいい。委ねるだけ。テンポ、抑揚、メロディー、響き、リズム。意味作用とは離れて、なんか言葉も用いず、ただ受動的に委ねるだけ。認識としての行為の主体である自我がない。能動的かつ創造的に行為を遂行する主体としての自我がない。これが神への明け渡しであるバクティ・ヨーガなのか。自我がない。非人称的欲求が世界の中で実現する。幼児期の感性的快の世界に退行する。

「じゃあ仰向けで寝て」

僕は全裸でベッドに仰向けになった。小さな苞。

僕はローションをつけられて触られる。子午線を太陽が通過する。喜びを持って帰宅する皆々様のように僕は触れられる。喜びと快活さを持って、帰路につくあのときのように僕はうっとりする。そこでも話しかけてくる。話しかけられる。それに受け応えながら触られている。中心から抹消部、また抹消部から中心へという活動において有機体の緊張力を生み出す器具としての魂というもの。最近読んだ裸のランチの快楽が緊張状態からの解放、そして麻薬中毒者は羞恥心を感じない。僕も不思議と羞恥心がなかった。形而下的な手段で作られた魔術的な陶酔。悪魔における脱魂。魂という緊張を生み出す器具はもう消えかかってはいたが、僕は緊張していた。

「性感系のデリヘルになるのね」とその女の人は説明してくる。「イメージ性感っていうジャンルなんだけどよくわかんないか初めてだとね、うん、性感って言うのは体全身でどこらへん感じるかなって性感帯探してくプレイになるのね。で、前立腺マッサージなんかもあるんだけど、そんな感じかな性感っていうのは。でうちの場合二つコースがあって、性感コースとイメージコースがあって、イメージコースだと女の子がコスプレして、ちょっと女の子の身体触ったりとか、攻める要素が多くなるような、そんな感じ」「お兄さん的には今日攻めたいとか攻められたいとかもわからんない?」「わかんないです」「女の子にあまり触られたことないかなじゃあ、こういう感じもない?」「ないです」「じゃあめっちゃ貴重じゃん今日、ね、色々遊ばないとね」

コースをどちらにするかという指針が示される。そしてコースによってお値段が違う旨を告げられる。値段、さっきの一万円で平気だったのではないか。狼狽し、一万円で足りるんじゃと言うと、しごかれながら、コースのこと何も聞いてない?あれ?と言うような反応をされる。「だいたいデリヘルって、性感系のデリヘルって、さんごーぐらいはかかっちゃうのね。そのこと言われてないんじゃ、困っちゃうよねお兄さんもね。フリーのキャッチって同じ会社の人じゃないから、細かいシステムを説明してくれたりしなかったりするんだけど、一応性感だと25,000円。イメージだともうちょっと高いんだけど、うーん、ちょっと用意してないのかなそのお金は」

僕はさっき支払った一万円と、今財布に入っている五千円しかなかった。「終わってからATMとかって行けたりする?」と言われるも、残金はなかったし、僕はどうしても払えないですと告げた。しごかれながら。しごかれてるから、半分上の空だった。

「うーん。どうしようかな。ちょっと始めちゃってるから、でも言われてないんだもんね。とりあえず財布確認しようもう一回」と言われ、行為を中断し、起き上がり、財布を確認する。五千円しかない。執拗にATMがないかと聞いてくる。しかし僕はないと言った。だから時間を短縮して、五千円でサービスということだった。訳がわからなかったけど、僕は続きをして欲しかった。五千円だからフェザータッチとか簡単なことしかできないけど、と言われつつ、行為を継続した。くすぐったい場所をたくさん触られる。乳首だの。身体が完全に屈する。「お兄さんたまは感じる人?」「あ、はい」

「ちょっと初回のお客様でお試しのサービスっていうのがあるからちょっとやってみてもいい?」と聞かれたが、聴きながら無視できるアンビエントのように受け答えした。「お兄さん自分では週にどれくらいするの?」「週4回とかですかね」「今日は溜まってる方?」「はい」「そっか、そっか、じゃあいっぱい出るかな」

すると、相手はスカートを捲し上げて、急に騎乗位になり、「ちょっと手危ないかも、おてて危ないよお兄さん」僕は満員電車で痴漢にならないようにビジネスバッグを抱えている人のような手を退ける。なんのことか分からなかったが、挿入を伴う。今までに体感したことのない不思議な感触だった。「これはどう気持ちい?」と動きを加えられ言われる。「気持ちいです」「とりあえずお試しだから、初回のお試しでこれだけになっちゃうけど、本当はお金とかあれば裏オプションでこんなことができる」と言われた。それは瞬間で終わった。なんか二重の実存があることを意識する。強制された受難のような感じだった。無垢が大きければ大きほど悲哀は深い。無垢。無垢を讃えたい。僕は、物を透して向こうの物が見えるような透明さ、アンゲロー。無垢という2007年の12歳の僕という羈絆はその行為を嫌悪した。私は1995年に生まれた。1989年に昭和天皇のほう崩御により年号が平成に変わる。同年にベルリンの壁が崩壊し、1990年前後に冷戦が終わる。リベラル民主主義の資本主義国家、アメリカ一国を超大国としたグローバル化の大波が世界を席巻する。僕が生まれた約一ヶ月後に、地下鉄サリン事件があった。なぜ、オウム真理教のようなもの生まれたのか。1995年にポストモダンを提唱したフランスの哲学者のリオタールは、20世紀末期の世界は、これまで以上に、システムに支配されていると述べた。すなわち、システムから逃れようとしたり、システムを変えようとしたりする努力・意思そのものが、すでにシステムによって予測されているし、その中に組み込ませれている。高度経済成長の終焉とともに、理想の時代が終わり、その後は、バブル経済期(1986〜1991)であり、ポップ感覚、ポストモダンが叫ばれた。消費欲望が膨らみ続け、生活全体が、過剰なモードで彩られていく時代だった。1980年代の末から1990年代の前半にかけて、少年・若者たちをめぐる社会情況は変わり始めた。バブル経済の崩壊、天安門事件湾岸戦争ソ連崩壊などの世界の大事件を背景にしながら、ポップ感覚に馴染めなかった若者たちが、内向的な奇妙な生態を見せるようになった。陰湿ないじめが広がり、現世離脱志向のカルト教団がいくつも登場した。ポストモダン化した1980年代の社会の中で「本当の自分」あるいは「本当の社会」を追い求める若者がカルト系の新教宗教にはまり、1990年代半ばに犯罪事件となって表面化し社会的に認知されたとも考えられる。オウム真理教小乗仏教系の教養や修行を都合よく解釈しながら、現実的な身体改造や社会改造を目指し、再び独自の「大きな物語」を創造(妄想)して「真の自己」「真の社会」を実現しようとした。1990年代からの年長者・知識人・施政者の権威喪失、子供の変容の背後に見えるものは、機能的秩序が社会全体に蔓延していくという情況である。2001年9月11日に同時多発テロ事件。アメリカが自国の防衛のためにゼロ・トレランス方式の実力行使でテロ撲滅を目指すようになり、予防的な措置として先制攻撃による戦争も正当化するようになった。この事件を機に国内の監視体制を強化すると共に、テロとの戦争という疑いをかけて2003年3月20日に予防措置でイラク戦争を起こした。国際的テロを取り締まるために、アメリカが独自の判断で単独行動主義により「世界の警察」として振る舞うようになった。新保守主義の勢力が強硬路線を取るようになり、アメリカ国民や同盟国からの支持も取り付け、テロとの戦争が可能になった。戦争とは、国家レベル国家レベルでの対立から起こる戦争。冷戦後のポストモダン時代における国際協調体制の下では、世界規模の大戦はもう起こらないだろうと想定される。が、9.11以後、テロの疑いさえあればアメリカはいつでも予防措置として先制攻撃による戦争を起こせるようになった。1990年代以降、ベックのいう「危険社会」が現実化し、危機管理を絶対的に要望する気運が一気に高まっていく。特に、「了解不能な他者」との衝突については、個々人の自由や多様な価値観を寛容に認め合うだけでは対応しきれず、やはり事前に事件・事故の危険を予想した上で万全の予防策をゼロ・トレランス方式で採る必要があると認識され、何よりも安全・安心を優先する方策が喫緊の課題となっていった。日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年(昭和29年)12月(日本民主党の第1次鳩山一郎内閣)から1973年(昭和48年)11月(自民党の第2次田中角栄内閣)までの約19年間である。産業構造の転換、農家を中心とした自営業社会から、企業等に勤めるサラリーマン社会へ。国民総生産も1979年には、二位。経済的余裕(ゆとり)を基盤にして、スキゾ・キッズは従来の「大きな物語」から離脱して、自分らしさや自己実現をじっくり追求し続けることができたのである。モラトリアムの誕生。80年代、大量生産から、個人の多様な好みに合わせた消費中心の社会への移行。パラノ・キッズとは、閉塞したエディプス環境に永住することを疑わなかったが、スキゾ・キッズはそうした環境に息苦しさや生きづらさを感じ、逸脱・逃走しようと考えるようになる。スキゾ・キッズが誕生する上で重要な役割を果たしたのは、親や教師の存在である。スキゾ・キッズの親や教師の世代は、戦前や戦中の封建的社会を知りつつも、それに対抗して戦後民主主義の社会を築くために懸命に働いてきた世代であり、スキゾ・キッズはこうした親や教師によって最初から自由で民主的な教育環境下で育てられた世代であるため、それ以前の世代と比べると「父親の審級」によって自己中心的な万能感を除去される経験を得てこなかったと言える。ナチュラル・キッズからパラノ・キッズへの生成変化するための統制的管理教育を十分に受けてこなかった。スキゾ・キッズの性向は、人文学的に見て、精神分裂病と関連している。精神分裂病の原因として考えられるのは、ダブルバインドである。

 

飯泉新が、この土地にやってきたのは、5歳の時だった。明日、幼稚園に願書を出さなくてはならぬという時だった。この土地は、母の実家がある場所で、父が、不整脈で体調を崩し、自営業で大工をやるようになってから、こちらで仕事がしたいということになって、この場所に来た。それまでは横浜市の瀬谷という場所に住んでいた。新の両親であるかなえと正和は、日本創造教育研究所というセミナーで出会い、かなえが30、正和が28の時に結婚した。
瀬谷というのは、正和の実家のある場所だった。かなえの父と母は83歳、78歳と、かなりの高齢であり、正和たちが横浜の方にいては、誰も見るものがいなくなり、心配だったのと、その時、正和の父の延之が、毎晩酒で呑んだくれていたので、ぶっ倒れるまでに暴食し、喧嘩をして殴り倒され、しかも翌日になると、いつもの調子になって陽気に騒ぎ立て、周囲のものもみんなと同じように快活になることを求めていた。身を持ち崩していた。少し距離を置きたかったということもあり、こちらに引っ越してきた。初めは、知らない場所に、わんわん泣きわめいた。外塚森一は、脊髄カリエスを患い、腰が曲がっていた。かなえは天然でおっとりとした性格で、とげとげしいとことがなかった。

栃木県の南部にあるこの町は、春になると、この街の特有の桜を咲かせた。ソメイヨシノと八重桜の中間の時期に咲いて、淡淡と美しかった。新の家の近くには、堤防があり、そこにはずらりと桜の木が等間隔で立っていて、見事なまでの自然を行き交う人々に堪能させた。河川区域になっていて、そのすぐそばには小学校があった。徒歩2分ほどで着く距離だった。新しいランドセルを背負った人々が、革の匂いをさせながら、その堤防を、歩くのだった。新もこの小学校に通った。桜は豪華絢爛に咲き乱れた。12歳。中学校入学の時であった。堤防には、桜が豪華絢爛に咲き乱れている。そこを歩いていく通う小学生だったはずの。脱皮したような、少しよく分からない、中学の通学路をこれから歩くことになると思うと、少しばかり緊張したし、あまり愉快ではなかった。新の家は、二階建てで、一階が八畳の和室の部屋が二つあり、それぞれ新の母のかなえの叔父と叔母にあたる、森一とミヨの部屋の寝室になっていた。ご飯は、いつも二階に運んできて食べる。二階の部屋も部屋と、寝室に分かれていた。部屋は六畳で、ソファーがあり、テーブルが真ん中にあり、ブラウン管のテレビと、今日もソファーに座ってテレビを見ながら、納豆ご飯と、野菜炒めと、豆腐とわかめの味噌汁と、キウイ、ブルーベリーハーバーを食べる。朝は大体せわしない。「食べ終わった?」下の洗面台にいる母のかなえが言った。「うん」かなえと一緒に仕立て屋であつらえた真っ黒の制服を着た新は、未知の空間に身を投じる時の緊張を感じた。そして、どことなく嫌な感じを覚えた。制服を毎日着るというのが、もはや今までにはないことであった。小学校の時は私服で登校が許されていたので、幾分軽かった。しかし、これから通う中学校では、なにもかも定められていた。 説明会の時も長々と、靴下は白でなくてはならないとか、髪の毛は長くてはならないとか、ヘルメットは絶対にかぶるとか。中学校は、新の家からは、自転車で15分ほどの距離で、県道を左に折れ、しばらく進んで、国道に出てそこをまた左に行くとあった。西には、新の家の近くにある川が流れていた。通学区域が決まっていたので、その通りにいかなければならなかった。坂を下りる。桜の木が植えてあり、菜の花があった。もう校舎には人がたくさん来ていた。微妙な緊張を感じた。
 「お、よお」小学の友である、原田が話しかけてきた。小学のほとんどの人は、この学校に入学した。クラスのリーダー的な存在で、よく、目立っていた、綾瀬という人は、私立に行った。綾瀬とは、綾瀬を取り巻きに、200回くらいは、遊んだ。広場で決闘をしたり、神社で水風船をしたり、エアガン、テレビゲーム。仕切ることが多く、綾瀬を喜ばせることが、一種の充実感をもたらす。この人間にだけは嫌われたくない。この人間に嫌われてしまえば、全てが悪くなるとえるような存在であった。かつての頃、綾瀬と喧嘩した人を、絵を破り捨てたことがあった。その時、そいつに気に入られることが安心感であった。安西卓と仲が良かった。
 「綾瀬がいないとおかしな気する?」と聞いてきた。
 「うん、なんか…」
 「マジでー。俺全然なんだけど」
 実際、綾瀬とはもう会う機会が全くなくて、遊ぶことももうなかった。内部のものとして、意識するだけの人物であった。しかしながらそれが形を変えて現れるということにまだ、気づいてはなかった。人生には、出会い、衝撃を受けた人間をまた無意識的にまた求めてしまうことがある。反復するということだ。ツインテールの清楚なかわいい女の子を目にして、どきりとした。目はぱっちり大きく、アヒル口をしながら母親と歩いていた。こんなアイドルみたいな可愛い人がいるのかと若干高揚が起こったのであった。ここ最近、寝室では寝ず、部屋のソファーで一人で寝るようになっていた。深夜起きている時は、つまり寝室に行ってないと、起きていると思われるし、だったら部屋で寝ることにすればそれがわからないだろうと思ったのと、もう、家族四人で寝たくなかったからだ。だから必ず朝になると、部屋に入ってくる。新が寝ているソファーの端に尻を乗せて、ご飯を食べている時もある。学年主任の挨拶。「学年主任の奥島です。本日はお子様のご入学、誠におめでとうございます。ただいま、多くの保護者の方々の参列を賜り、無事に入学式を終えることが出来ましたことを感謝しております。学年を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。」教室には、「個性を大切に」という大書されていた。教室で「飯泉、今日遊べる?成瀬の家行こうよ。犬が精子出すとこ見れるぜ」小学校からの友人である川北が言う。新は、新しい環境でもう友達と慣れ親しんでいる川北を少し羨ましいと思った。どこか硬くなりながらも、こういう外的な要因がないと、行動できない性質であったので、それと同時に断ることができない性質でもあった。「あそぼーぜー」成瀬が言う。「うん。じゃあ行こうかな。 成瀬は、髪の毛はオールバックで、顔つきはシャープ、冷酷で驕慢な光を目から射出し、烏のように鋭い目をしていた。彼の話し方は、時より不機嫌なのかそうでないのかがわからなくなることがよくあった。成瀬の家は、学校からさほど離れてはなく、新築みたいに綺麗だった。近くに大型ショッピングモールがあった。稲葉善也が、ヘルメットをかぶらず、自転車できていた。小学校からの友達で、背が高くほっそりとしていて、頭頂部を、ワックスであげていた。目つきは垂れていて、何かに敵愾心を持っているように見えた。入学式から専横な振る舞いが、すでに話題になっていて、あいつ面白いよとなっていた。一組でクラスが違がったのだが、カロリーメイトを食っていた。ハイツに住んでおり、いつも独特の匂いがしていた。「食べる?」と言われ、一つもらった。この時から、カロリーメイトが好きになった。「お邪魔します」 NARUTOやワンピースなどの漫画が全巻置いてあった。でっぷりと太った成瀬の父が何やらパソコン台にあるデスクトップパソコンに向かいながら、RPGのゲームをしていた。会釈した。強面で恐ろしく感じられた。 自転車を緑地公園でぶっ壊す遊びをする。掃除当番の時など、階段の踊り場で、ゴミを吹き飛ばしたり、ワックスをつけたテカテカの頭をトイレで、確認したりしていた。
 「どう?」というと、「パイナップルみてえだな」と友達にからかわれた。ギャツビーで、トサカみたいに立てていた。男の先輩から「それ、かっこ悪いよー」と言われるほど、作為的だった。駅のマクドナルドの鏡で、髪の毛をいじっているのを見て、氷解した。そういうことをしてもいいんだなと思った。新も鏡で、自分の顔を平気で人の前で確認することをよくやるようになった。昇降口の前に、栄冠の池という池があった。

落ちることを周囲から期待され、中に入ると、ぬめり苔ですべって、ジャージが苔色になって汚れてしまった。周囲は、思わず噴き出し笑いをもらした。 「おい、ふざけんなよー!」 みんなの笑みが思い出される。なんという笑みか!笑いとは敵も味方も関係ない。笑いとはすべて等しく同じ笑いなのだ。ひょっとすると、一番、崇高な感情かもしれない。わたしは第一世界大戦で、クリスマスのとき、敵も味方も関係なくサッカーをして笑いあうという戦場のメリークリスマスというのを、いつぞやのテレビでみた。あなたはあなたの憎悪する。笑いが得られなかったときが一番悲しい。感興のおもむくままというのが。憎らしい首相も、笑顔を見ると思わず気を許してしまうように、そういう崇高なものなのだ。いいだろう、笑いって。最高だな。そう思った。相手を敵だと思うから笑えぬ。異質だと思うから笑えぬ。黒人と白人が笑う。そんな光景がわたしにはとても輝かしく思われる。新の頭の中には、一つの心象が存在していた。新を取り囲んで、新は笑いながらその人らと話している。それに震えた。だんだんと増していき、その熱情を抑え込むことはできなかったために、さらに苦しんだ。冷静に自分を見ることができない。いい印象を与えていた。それが、それこそが自分なのだという意識がずっと新の自我の根拠であった。「サバンナのおきてだ! サバンナのおきてだ!」「てめえ! 許さないぞ! 何としてでもお前を倒す!」新は過剰に全身を震わせながら、智史に向かって、突進していった。「なあ! なあ! おい! 謝れ! 今すぐ謝れ!」と言いながら身体をくすぐった。智史は笑い声をあげ、周囲の人も笑い声をあげた。「こうなったら…あれしかない。」といきなり智史の身体を腕で抱えると、ぐるぐる回り出し、その勢いで智史の身体を離した。すると、おもいっきり地面に智史の頭部が叩きつけられた。うずくまっていた。「おい、智史大丈夫か…?」周囲の人間が聞いた。「これやばそうだ・・・誰か先生呼んだほうがいい。怪我してる」 新は、倒れている智史に寄り添うと、遊びがこのような形で途切れたのを悔やむ気持ちと、心配と不安から、どうしたらいいかわからずにいた。「智史、ごめん。智史、ごめん」とだけ言っていた。やがて担任の塩田が来た。「おい、何をしてるんだ。智史、どうした?頭打ったのか?」「お前、後で事情説明しろ。とりあえず、このまま保健室行って応急措置するから、少し待っとけ。 新は、目の前がいきなり暗くなったような感じを覚えた。新は、学校で初めて新が保護者を呼ばれることになってしまった。「意外と強いんだね」と言う周りの声が、耳に入ってきた。「ただ、喧嘩をしているわけではなくてじゃれているだけで、そこから」新はうまく説明することができず、どうやったら相手にわかってもらえるかということを考えながら話した。「勢いがつきすぎて、転倒させてしまったんです」完全に自分に不利があるとわかりながらする事情説明ほど苦痛な時間はない。さらに相手がケガしているのであっては、また事が重くなる。自由であるはずの遊びが、自由を縛る罰に変わってしまったことをとても渋る。「新くんが、まあ遊んでいたみたいで、そこからこう突き飛ばしたみたいで、それで大きいたんこぶが」雨の中、傘をさしながら、かなえと二人で謝りに行った。新はこっぴどく怒られるのではないかという恐怖心から、距離を置きながら歩いた。「あ、この度は息子が怪我させてしまったみたいで、本当に申し訳ありません」と、差し出した。 智史は出てこなかったが、新も頭を深々と下げて謝った。雨の描写。ローソンに入った。「何か食べるか?」と聞いて、新は涙を流しそうになった。「デザート買ってもいい?」「買いな」「ありがとう」デザートをカゴに入れた。家に帰ると、正和がいて、「謝ってきたか?」と聞いたから「うん」といった。パソコンでホラーサイトを見たりするのが面白かった。古町と一緖に、六畳の畳みの上にパソコンを置いて、 「おい、殺されるってまじかよ。これまずいんじゃないか」一人ではスリリングな体験を楽しんでいた。チェーンメールなども流行して、「大丈夫じゃないか。外でなければ」とすこし怖がったように言うのだった。こういう体験もひとつのフレーバーとして、わたしの頭の中におさまっていた。 エロサイトを開いて、家に電話がかかってきた。「え、なにおまえ見たの?俺みてないから。死ぬのおまえだけだぞ」一人は消沈していた。俺はセックスマンだ。はははは!!!というのを古町が送ってきて、母親がそのメールを開封していたときの当惑の感情すらなかった。わたしはそれを台所で知ったのだった。つながりができる様を楽しんだ。男友達の亮太にある日、お前のお姉ちゃんのメルアド教えてよというと、教えてくれた。カラオケに行こうということになって。だんだん母親はその様子を見て、訝しんだ。新。おっぱい出して。いやらしいだのと言われた。いや、これは友達が。と弁明したとしても。家に電話がかかってきた。エッチな声を聞いたとかいう話をのちに母親からされた。「おい、飯泉やれよ」 「うそだろ」 「大丈夫だから。俺だってやったけどなんもなかったんだから」 「感電したらどうすんだよ」 「大丈夫だって」わたしは恐る恐るシャーペンの芯を奥に押し入れた。すると、火花が散った。痛みはまったくなかったが、手の甲に鋭い針金で引っ掻いたみたいな傷ができた。「おい、最悪なんだけど、みてこれ」わたしは誇張しながら言った。痛みはまったくなかったし、手に傷がついただけだったので、むしろよかった。周囲は、抱腹絶倒した。傷を見せたら、さらにげらげら笑った。「やば、おまえ大丈夫かよ。はははは」わたしは若干気持ちよかった。「うわー痛った。」その傷ができたことで、さらなる笑いがとれたことにわたしは喜んだ。いや、むしろその傷のおかげで笑いがとれたことに、感激したのである。それほどに、周囲の笑いをとることに、傾注していた。機嫌をとることに、それにすべてをかけていたのである。自分は周囲に注目されている。それが、わたしという人間を満たした。わたしはわたしの思うところの自分になれている。それは、お笑い者の自分である。それをわたしはいましてるのである。実存的にわたしは幸せだった。教室に戻ったあと、またもやわたしは、プラグにシャー芯を入れて、上履きで蹴った。すると、火花が飛び散り、金属の部分が焦げた。みんな爆笑した。あっはっはっはと、わたしも笑った。出席停止処分のことを告げた教師は、優しく教え諭すように言った。「飯泉、申し訳ないが、明日から学校には来ないで、少し家で待っていてな」教師は子供に対して、無意識にも不安を持っていた。というのも、それを隠そうとしながら、言葉を伝えた。 教師からの拒絶、学校からの拒絶と、従属的行動を示唆され、矛盾の要求に苦悩した。新はぐっと泣くのをこらえた。 教師に愛情や依存の感情を持ちつつも、(持っていない)苦痛や怒りや不信感を持つことになり、心が引き裂かれていった。いや、激しい憎悪の感情が新を襲った。もう、戻れないのか。戻れなかったらどうしようという焦燥に近い感情も起こり、凄まじい、心臓が痛くなった。何もかもが、外部によって決められ、動かされていくのを感じると同時に、自身の無力さに対して、自己憐憫が目覚めつつあった。両親もそれを承諾したが、納得できないという様子をしていた。学年主任、担任の先生、教頭先生、校長先生、複数の教師に囲まれる中で、おぞましいことだと意識しながらも、どうにか抗議してみたところで、たちまち不能になってしまうことが明らかだったからである。というよりかは、新にとってみれば明日から学校に行けなくなるということ以外詳しいことは何一つわからなかった。学校教育法の第4章の第35条にある出席停止処分という規定を適応されたことも、全く知らなかった。その純粋さから、ただ、教師の裁量で、多数決で、夾雑物を取り除くみたいに、排斥されたのだと思った。とても悲痛な思いだった。
 「ねえ、俺明日学校行けないのかな?」
 「いけるよ。大丈夫だよ」

言葉に表されていない意味(物語)の方を重視し、その態度レベルに隠された禁止・命令を強く感じ取り、それに対抗する思想体系を築き上げる。

拘束されたコミュニケーションそのものから逃走し、金を盗み、ゲームを買い、消費社会に取り込まれる。

自分と物(安全な他者)を中心とするバーチャル・リアリティにひきこもり、安心・安全な私的生活を求める傾向が強くなる。 新は、しかし、新はそこでも拘束を感じる。だんだんと追い詰められていく。ゲーム。1万円を手に持ち、なんのゲームを買おうかと思案するのが楽しかった。二本も買えると思いながら、店を見て回っていた。そうやって選んでいる時が一番楽しかった。児童相談所に行くことになっていた。新は全く行く気が無く、過剰に断った。「いやだ。絶対に行かないよ」塩田の煙草を吸っている。子供は大人の些細な行動にも、衝撃を受ける。何も知らないから。逆に絶対的な落ち度を見ようとする。その細やかな隙を。大人とは、醜いものだ! このやろう!

 

創太の遺書(資本主義社会の病理、愛の問題)
 
死ぬことにする。存在の内奥に入った。もう抜け出れない。全ての人間が、存在を切断するイメージに変わる。僕をそこに閉じ込めた全ての人を許さない。毎日、それを覗き込むことを余儀なくされている。存在の内奥に住むものはこう告げる、死ぬしかなと。どうも僕は焦っているようだ。自らのイメージによって、殺されるのだ。もう無理だ。生きては行かれないとして、歳を重ねていくだけの日々に、何の意味があろう。刻々と、欲望は増大していく。病んではならないのである。この現代社会の時間感覚において、病むことは死である。突然猛烈な苛立ちに捕らえられた。血気の情に負かされた。創太は一種の喪失状態に陥っていた。

卓が二歳の時に両親が離婚した。僕は、母のために、手芸品を製作した。忘れないでいて欲しかったし、これからもよろしくという意を込めて。しかし、受容されると思っていた期待を、裏切られ、作った魂の懇願を、打ち砕かれてしまった。 「いらないわ」といった母のえもいわれぬ表情を思い出すだけで、底深い怒りが湧いてきた。 あの時から、色がすべて落ちたように。

僕は、算数と国語と英語の簡単な問題だけで入れる定時制の学校に入った。高校は散文的でこの上なくつまらなかった。図書館で一人本を探し求めるために学校に行っているようなものだった。授業には出ず、図書館にいるか、自宅で本を読んでいた。しばらく振りに登校すると、僕の机には、知らない人の書類が入っており、僕はとうとう嫌になった。高校に通わない日が続いて、気付いたら、籍がなくなっていた。高校から連絡が来て、自主退学した。それから、アルバイトをしながら、小説家になるための勉強をしようと思った。市の中央図書館に通った。新聞や、本をそこで読むようになった。ドストエフスキーや、リルケサルトルや、キルケゴールと実存的なものにはまった。 外部からの情報、存在が稀薄化していく日々に、耐えきれないようになった。倉庫でバイトをしている中で、生活世界が侵されているというなんとも不快な感じから、大学に行きたいと思い始めるようになった。大学は高校とは違い、学問をしに行くための機関であると思って、また共同体から忌避してきた生活から、外面的になる必要を感じていた。ラッセルの幸福論を読んだりしたのも一因としてある。よく言うのさ! アドラーやら、ビンスワンガーやら、共通感覚を持つことが重要だって! 人間は共存在であるからとか。根源的に離れてしまった人間はどうしたらいいんだい?世界には意味が有るという信念は、愛によってもたらされる。しかしそういうもすべて、今となっては思違いであったとしか言いようがない!現実は私をそこに向かわせた。しかし、何を考えよう! 考えてるのは自分一人なのだということを!高卒認定試験を受け、なんとか合格した。高校に言っていないために、日本学生支援機構には、奨学金を借りることはできなかった。新聞社の奨学金制度を見つけ、「早く経済面を固めた方が得策だと思いますよ」と言われたのに腹が立ち、また入学金に、25万円もかかるというので、なんとか借りられないかというと、それは難しいというので、ハローワークでプログラミングの職業訓練を受けることにした。20歳で、大学に入学するもうまく馴染めずだった。対外的に、何も持っていなかったことに気づいた。やめ、本を読んでいたのも、すべてを小説に捧げるためだった。僕は日に日に殺され続けていた。資本主義。僕はどこにもいなかった。これは事実だった。欲望。もう、何も見えない!

卓は、新に対し、学校をぶっ壊しに行こうと言った。もしそれを止めるやつがあったら、死ぬまで殴りつけてやろうと言った。賽はもう投げられたんだよ。ここで、新は恐怖する。自分が殺人者になるのではないかと。「僕はただ、そこにある友と愛と共に」新は新しい空気を欲していた。もはや、窒息しそうであった。  発達のために、駆り立ててきたが、新という存在を  激しすぎる口のききかたに、 母というのは。  「飯泉、元気? ひさしぶりねー! 皆心配してるよ(多分)学校に来れば祐介とか聡史とかと一緒に遊ぼうぜ! 授業はめんどいかもしれないけど今度学校に来いよ! じゃあまたね」 「学校は楽しいよ・・・・・。あんまり、迷惑わくするようなことはしないで下さい。いつもどおりに.・・・・・ p,s 意味不明ですみません」」 「学校おもしろいからぜったいにこいよ」 「1年2組は31人全員いないと本当の1年3組じゃないよ!来れる時が来たら、いつでも来て下さい。31人で、たった1度しかないこのメンバーでの思い出を沢山つくって、中学生活を楽しみましょう!」 「飯泉学校にこいよ!ぜってーおもしろいからよー!またこんどあそぼ!」 「いいずみえ やッほオー おひさだねー ずっとがっこうきてないねー 元気い? どしたん? 川崎とかみーんなお前がくるのをまってるよー いえにいでもつまんないし学校にきなよ 学校たのしいカラ そんでばっかいるとばかんなっちゃうよオ みんなまってっからねー んじゃあばいちゃんッ」 「飯泉へ 飯泉ー 元気かー? ちほはすごーく元気だよー みんな飯泉のこと学校で待ってるから早く来なよー 待ってるからー んじゃあバイバイー またメールするねー」 「元気ー?学校来なよ! 1年3組、飯泉がいないと全員そろわないしさー みんな待ってるよ まじで待ってるからさ! 自分のペースで学校来なー! 飯泉が来て1年3組が全員揃う日を楽しみにしてるからね  ばいばーい」 「学校めっちゃくちゃ楽しいよー!でもなんで来ないの??何人かはやくこいー!!っていってるよー!」 「飯泉くんがいなくなって、2ヶ月が過ぎようとしています。飯泉くんには、たまにすれ違うことがあります。僕は飯泉くんが元気だけど、学校に来れない理由が今でもわかりません(たぶんワケアリ)そしてなにより、飯泉くんと僕は気が合わないせいなのか、よくケンカもします。口ゲンカも、なぐり合いもします あばれんぼうでよくさわいだりするけど、飯泉くんがいないと、なんだか1年3組じゃないような気がします。 1日一回だけでもよいですから、早く学校に来なよ 1日でもはやく飯泉くんが学校に来るのを願っています」 「最近ホントに来ないねー。一回だけ来たか(笑) 何で来ないのー? クラス替えする前までには一回くらい顔出せよ♪ まあ、来づらいのかもしれないけど・・・・・。そんあ心せまいやつばっかじゃないしさ! 来たい時に来なよー!」 「学校は楽しいよっ みんなまってるよっ♪」 「1年3組で過ごす日もあともう少しだから、はやく学校来て、友達と楽しい日を過ごしてネ!!(笑)」 「はやく学校に来いよ! 俺と川崎と川俣と蒼史と飯泉で遊ぼうぜ! あんしんして学校にこいよ!」 「最近のクラス報告 ・このごろクラスは下ネタ度がアップしている気がするよ(特に久保くんが)・というかなんかウザさが増した気がするね。 ・勉強むずかしいわあ・・・。 ・頭痛いなあ。 アニメイト行きたいなあ・・・。 上記の通りでーす、学級新聞のネタが無いなあ、どーしよう・・・。 というか本格的にクラスがやばくなってきたかもしんない つーか頭痛が痛い(にほんご間違ってる)学校は・・・まあ、どっちでもいいんじゃね? 気が向いたら来るとかでもいいと思うぞー! でも楽しいからなー・・・ よし!じゃあ来い!!!↑命令口調 またねーっ!! つかこれグチだね 菅さんより」 「1年3組は飯泉がこないと1年3組じゃないんだから、お前が来てこそ1年3組なんだからはやく来いよ」 「しばらく学校にこないけど元気ですか? 学校にこないで何をやってるんですの? 学校にくればみんなと遊べて楽しいよ はやく学校に来てね」 「早く学校に来いよ。もうちょっとでクラスかえになっちまうぞ!」 「飯泉へ とりあえず お前学校にこいよ」 「おれらだって、コンセント事件おこしてからがんばって学校きてんだぞ! お前もがんばって学校にこいよ!」 「周りの人は何で来ないの?とか思ってるだろうけど、でもそんなの関係ねえ!からさ、来たい時に来て、遊びたいときに遊べばいいんじゃね?でも来てもらわないと困ることもあるから給食当番とか、給食当番とか給当番とか、給食当番とか・・・。とりあえず待ってるよ。いつでもいいからね!」 「元気か?まあ、元気だと思うがな。 早く学校に来いや。 俺ア待ってるぜい! まあ来たくないなら来なくてもいいけどな。少なくとも俺ア、来て欲しいと思う。早く来いぜよ。」 「もうすぐ1年も終わっちゃうけど、どうするんだ? 二年になって学校に来るのか? 今1年は大変だけど、すっごく楽しいよ! まあ授業中はまだうるさいけど・・・ 飯泉は学校来たくないのかな? みんなお前のこと心配してると思うよ(たぶん)家にいるよりたぶん学校の方が楽と思うよ 早く学校に来てみんなで遊ぼうな!」  朝、カラスの鳴き声や、鳥の鳴き声がする。この朝と同時に、その声と同時にわたしは眠るのだ。それが好きだ。それがわたしにとっての朝の意味だった。わたしは壁に首を付け、身体を捻り、足を揺らしていた。4時28分。わたしは行くといったばかりに、眠れない。本当は眠りたい。パジャマの匂いを感じていたかった。起きるや否や、強烈な不安感とともに貧乏ゆすりが始まり、無意識に股間を揉んでいた。すると、性器を出し、上下にこすり始めると勢いよく精子が飛び出した。もはや何をしたのかわからないという風に顔に暗い表情を浮かばせると、また貧乏ゆすりを始めた。  樹液のようなものが付いていた。長野県の安曇野へ父の延之を、形のいい実だけを残し、その実に葉っぱで作られる栄養を集中させることでおいしいりんごができるの。だから形が歪なものとかはとってしまっていいからね。 ダンプでどこかへ行った。ペットボトルが、反射していた。 彼はそういう考えのめまいのうちに滑り込んでいた。「歪なもの以外」すべてのりんごを手でつかんで下に落としていった。手が皮向け、血が出てくるのも構わず全てのものを落とした。全てだ。全てだ。  新!と悲痛の声をあげ、いきなり新の胸ぐらを掴んで、なぜ自分を大切にしないんだ! なぜだ!と絶叫した。 

 

………僕は気付けば射精していた。僕は28歳の僕は射精していた。途中からその女性は無言になりしごき続けていた。「気持ち良くはあるよね?」僕はそれに、任せて、初めて人の前で射精した。目を瞑り、記号を浮かべながら。射精した。人前で射精したことのない人に若干の優越感を抱くような考えになっている自分自身を軽蔑しながら僕は駅に向かった。成城石井でインドの青鬼を買った。酒を飲んだ。僕は酒が好きだった。