闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2020.09.07

私は愛情から泣き叫んでいるように感じます...ええ、それはそれでした、朱色の苞でした、そして私は引き伸ばされた状況でそれらを憎む必要がありますが、言葉は感情の熱かもしれない、電気との熱かもしれません、すごい緊張感が動いて、神経がバタバタ、私は動けなくなって、全身が空っぽでつぶれて、緊張感のある電気が動く。
日記を書く元気もない。苦痛は言語がされにくい。苦痛は悲しみや、恐怖などと違って志向的対象を持たないからである。だから、この苦しみ、負担、負債を、代わって語ってくれる「証言」が語らなければならない。

表現ドワーフ部門が喋る!

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「私はがががががが病院病院難民はるるるるるるるるるるるるるる収収レレレるる収車収車車車収収車車車収車車車車車車車収車収収収収収収車車車車車車車車車車車代私は過去に閉じて、冷たい水を読んだんで勉強し、輝き、最初にジ・ローニを踊ってイ・マす。ジ・ローニ、は、私と他のみんなをまね体育館とシタ・ディ・スタット・ビルト〉それは謎、謎」

ベイトソンの造語としての二重拘束は、論理階梯を時間の中に構築できなかった論理学者の病気。もはやそれは宿命であるように思われる。もう我々が見ているものは、その拘束された言語、非言語的記号の射出による内的形式(イメージ)だ。そう、全てはイメージだ…。