闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2020.08.15

眠る前に、じんるいのみなさまへというゲームを三時間くらいやる。
廃墟の秋葉原が舞台だが、起きてから読んだ「名前には何の意味があるのか」という本によれば、フィクション内的文脈と、フィクション外的文脈があり、フィクション内的文脈は、廃墟の秋葉原も登場する五人の女性も登場し、それが真である。フィクション外的文脈は現実について語る文脈であり、現実では秋葉原がどうなっているか、無論、廃墟の秋葉原など現実に存在することはないので、存在しないというのが真である。フィクション内的文脈において草の生い茂った、荒廃した誰もいないビルを歩き、食料になる魚を探しに、漁網になるような物を店舗から盗みだし、神田川へ向かうが、着いた先には濁りを知らない澄んだ水平線と、波止。こんな場所、秋葉原にあったっけ、あるわけがない、否定単称存在言明とは、フィクション名の使用法の言明であり、つまりは、意味論的には偽であること、つまり「秋葉原にそんなものはない」となる。語用論的には、使用の歴史を辿り、それ、「それ」とは、文脈依存的表現であるが、それ以外のものに辿り着く場合である。このゲームに登場する五人のキャラクターや、街などといった外見的標識はいわば抽象的対象である。ノモスという共同体の秩序のようなものはなく、五人の中で、自然な信憑を持っただらだらとした人間関係がテキストで流れる。非日常的なものを日常的なもので描く退屈なマジックリアリズム。この冒険の結末は、集団の絆の根底にある内面化された恐怖を生み出す稀少性、それにより五人の間は引き裂かれ、最後に残るのは空洞になった死体の寄り添う集塊である。ひとまとまりの空想。

 

じんるいのみなさまへ

わたしはいったいだれでしょうか