闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2020.07.22

3時半くらいまでいけだと通話する。破顔一笑、彼女は周囲を豊かにする。どんどん引き伸ばし状態により、奥行きは広がり、語り明かす先にも、いけだという衰えを知らない人物と相対することになる故に、オクターブが一つ高いような声調で話す彼女の表皮的な楽観を纏ったいけだにはどんな人物も歯が立たない。彼女は大人と子供を往き来している。もちろんのこと、リースマンでいうところの内面にジャイロスコープ羅針盤は破壊されているし、というのも、巨大な機械状システム体が、ある場所に配属している、他人指向型、つまりは、周囲に従属する、その例を一つとると、ツイッター、従属させるものを一旦自己の内面に引き受けた彼女は、内面から支配しその内的な存在を様々な外的策略、束縛、罠等で補強するスタイリッシュなデバイスに姿形を開けっぴろげに晒す。赤裸々ツイートである。しかし、そこには複数の人物がおり、歪曲されている。子供は、言葉でおしっことかうんこなどと言い表すことに子供は興味を示すらしい。その言葉を発することで、言葉(口唇性)を制御したことになるから。言葉と身体機能を同時に一致させて制御し支配できる。しかし、彼女はおしっこを漏らすのである。また、それを飲む。飲まされたと彼女は言う。それは感情的ではなく、極めて情動的である。そしてそれを出来事として、ツイッターに公開する。その体制の内部に細かい漏出線がたくさん入り、多様体としてのツイッターが開かれる。そこには複合的、複数的、複層的存在である「いけだ」が立ち現われる。ツイッターは一種の公的自己意識である。自分の行為によって人々を結合させることができないのだとしたら、自分のあり方、深く退行した「いけだ」となることによって絶えず結合を試みる、だから彼女はおしっこを漏らし、それを飲み続ける。