闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

2020.08.18

10時、病院の診察で紹介状を書いてもらったのを貰って帰り、そのクリニックは川崎にあり、「愛の精神医学」の著者、野口昌也さんはもう高齢であり、新規の患者を受け入れておらず、初診も診察もカウンセリングもすべて、心理士他多職種の方がやるとのことだった。反精神医学の先達者であったデイヴィッド・クーパーの著書の翻訳もされている。その方を主治医にしたかったのであるが、甚だ残念であった。反精神医学とは、性格とはまず受容されてきた部分の寄せ集めであり、その「正常性」を解体し、真の正気に至らせるために、狂気をくぐり抜ける必要がある、そのためには患者からあらゆる枠組みを取り除き、(例えば、医者、看護人、患者といった関係)内的で自然なものとさせる過程を経験させ、自分を取り戻す可能性を与えるところのものである。しかし、その分裂症と呼ばれていたものを狂気に置き換えているだけだという批判もある。しかし、アンリ・ミショーが言うように、「おのれの狂人をかくすものは声もなく死ぬ」その潮流が野口クリニックにもまだ流れているか、権威でもって木で鼻を括るやり方とは違うか、ということが気がかりであった。

そのあとは、不動産屋から電話が来て、気づかず、折り返し電話をするように言った。14時から青少年相談室に行き、たまたま父と母が休みだったため、相談員とたまたま四人で集まれるから、オープンダイアローグの本を持って行った。その場合、相談員はファシリテーターで、通訳を介したりする役割を持つが、父親はずっと口を閉ざしていたけど、援助による父親に視点が移された時こう言った。

「やっぱり自分ではどうやっていったらいいかは分からない、自分で決めたことであれば、そこに対して何を言ってやることはないし、好きにしろってことじゃなくて俺もわかんないんだ、実際。自分のことだって先のことわかんないんで、やっぱりその都度、その都度でしかないと思っていたんです、うん。なかなか人間オープンで話すことって一番難しいことだと思うんで、社会生活の中で、思っていることは全て口に出せるわけじゃないんで、そこは引き出そうとしても無理なことなんで、そこは全部話せばその人全てがわかるっていうことではない」
対話によって内部に新しい言葉を作り出し、その意味を分かち合うための共有がなされたわけではなかった。僕はポストメディア的な主体が一意的に帰着するのはわかって致し、そればかり考えていた。自閉的な家族還元主義みたいに、家族を固有名として登場させたくはないし、その“ ポストメディア的な主体”において。オープンダイアローグでは、経験に言葉を与えるが、その経験をまた情報機器において外在化した感覚に移し替えることができ、スマホやパソコンなどで操作するツイッターなどは諸個人を互いに結びつける記号的構成要素を持つため、脳みそにはいつも長い棘の生えたウニの集合がいるようである。

だが、そんなこと言ったってどうしようもないだろう。しかし、それがなんだというのだ。そして、帰って来て、不動産屋に電話をした。中野の物件が空いたとのことだった。新築長居住宅で、木造ストレート葺二階建てで、家賃は、53,000円と安いが、初期費用の概算は210,000万円と、唖然とした。それを家族に伝えようものなら、と、しばらく考え込んでいたが、なぜか、いつもより早い食卓は宵闇が立ち込めてきて暗さを帯び、僕はその夜陰に乗じて、初期費用を言ったが、父親は、「金のことで行き詰まっているのか、なんでもできると思ってできる訳ではない、川崎の病院での初診を待て」と、おおよそこんな感じの内容を話した。僕は何も言い返せず、俯くしかなかった。そして夕食を終えた。発散のためか、誰かと話がしたく、場当たり的に、通話サービスの掲示板に書き込んだりしたが、誰も来なかった。ツイッター股間に狐面をつけた自撮りを上げるも、誰からも反応なく、救いのないようなどうしようもなさがただただ募っていく。吐きそうだ。