闘病日記

闘病のための日記です。一応、傷病名は自閉症スペクトラム障害、統合失調症となっております。精神障害者保健福祉手帳一級、障害年金受給者。毎日22時には更新したいと思っています。せっかちなのでもっと早く更新するかもしれません。

透明HIGHWAY

透明HIGHWAY設立 2018.0917
 
前期
きょーちん、御子柴、シミズフミ子、檸檬、こひなた、ウパジ、床上手、こある、のものも、ヤマダ、しかまる、未明、りょうた、ぼろぼろ、ユリカ、窓付きろん
中期
ぺぺろんちーの小峠、なかしぃ、いけだ(やっぴ)、懺悔、あらら大使、お自慰ちゃん、とろぞう、キノ、しょーじ、おぶせかいかん、うしゃまん、べんざカバー
後期
yu、きさらぎ、浅子、ぁぃ、ブックオフ、このき、みら、れあし、かいづかあきら
 
透明HIGHWAY削除 2020.03.04
 
 
かいづかあきらという地母神により作られしこの会議により、床に伏せていた数多くの赤子が活動を開始する。
 
まず、きょーちんが登場する。彼女は気が狂っていた。弾力性のある甲高く、また甘味のある声であり、きょーちんだけに嬌声であり、人々を壊乱させるかのように振る舞う。しかし、口外するためには、家庭用ワインセラーからワインやシャンパンを一瓶飲み干してしまわなければならない。近代教育における裏打ちされた完成可能性を嫌悪し、旅心を募らせ、「人間的自然を取り戻すんだ!」と言い放ち、時にはFPSで、代償行動ではあるが、敵を一人残らず蹴散らそうとする。必要かつ十分な情報に満たされた現代人は、関係の冗長性を構成するコミュニケーションを望むであろうか。彼女は何を求めているのであろう。ただの娯楽か。非常に謎の多き人物である。
 
次いで、御子柴が登場する。彼女は完全に気が狂っていた。認知の欲求があまりにも高すぎ、外延的な話を好む。しかし、知識は感性の底には届かない。「知識は人を壊す」という理由で、感性の方に傾いていく。しかし、感性とは身体的なものではなく主我的なものであり、恋愛は、恋愛を反省する時に初めて現れ、それは破壊されてしまう。人の愛とは感性的ではなく、心的なものである。彼女は愛着に問題があり、感性的な愛は場当たり的で刹那的、故に瞬間に成り立つものである。人間関係に倦み疲れた最期の御子柴は、「不安について語って欲しい」と周囲に言う。不安とは、底知れぬ深さを見下ろし、その有限性につかまった状態である。それゆえ彼女は永遠なるものを求め、時間的なものを断念し、遮光カーテンの厳重な部屋の片隅で震え、むせび泣いている。
 
シミズフミ子が登場する。インサイトにより、会議のものたちを選別していく。そして、喧嘩を好まない。コミュニティで他者攻撃をするなという原初的規範を持ち合わせているが、特に友好的でなければならないということも思っていないようだが、統一性の唯一の形態のため、いざこざがある度に、自由と権利を持つシミズフミ子はもうここにはいられない、厳選しなければならないという揺るぎない権利と義務感による倫理的なコミュニティを作るため、「難民キャンプ」という会議を設立し、一部の透明HIGHWAYの人々とバリケードに上る。
 
檸檬が登場する。彼女は、倫理的なコミュニティと対立するペグ・コミュニティの範疇にいる。ペグとは、掛け釘のようなもので、そこに物を引っ掛け、適当な時に帰ることができる。縛られる不快感はなく、属することが喜びである。脱領域的で機動性を持ち、遊牧民のように他の会議を周回する。薄皮の剥けたような顔立ちをしている。「今日バイト休みなんで会議早めに挙げてください任せた」と、ほとんどが他律的である。今は社会人として一般企業で働いている。
 
こひなたが登場する。悪い意味での狂愚である。「道理を心得ず愚かである」その若さも合間って、約束の不履行はもはや当たり前。人々を蠱惑し、分別を全く知らぬ愚劣な女である。彼女は僕に一角獣、一角獣というのは角に薬効があるために、僕は一角獣を集める必要があったのだが、そのぬいぐるみを送ってもらうために、どうぶつの森を買ってあげたのだが、3月以降、全く音沙汰なしである。
 
ウパジが登場する。口癖は「サブカルチックな仕事探すかあ」である。ネグレクトの起因する場面多数である。ウパジがトリガーになり、いざこざが起こることがあるが、本人は自認していないか、自認したとしても過度に非を感じることはないであろうと思われる。忌避するという訳ではないが、空気を読めず、明け透けに物事を言うために、他者から一歩置かれやすいタイプである。スカイプを「オプション行為」であると言っており、「この会議あるって身内に言える?」と会議を等閑視している面もあるが、「毎日やることってないんだよね、酒飲むこととコタツで寝ること」と、本人の内に揺れ動く感情があることが窺われる。彼女の絵が描かれるときは、必ずデモーニッシュな肌合いを持って描かれる。
 
床上手が登場する。秘匿性のある仕事をしているために、彼女が話すことは全く限られている。代名詞はタクシーである。というのも遊牧民であり、食べるか否か、生きるか否か、という問題の突きつけが絶えず彼女に与えられている。それゆえ、夜中の街路を踊り越す。他者を慈しむ心を持っているが、約束を破られると、素っ気ない態度を取り、やがては、今生の別れをきたす。
 
こあるが登場する。彼は、潔き笑いや歌声を持って、人々の憂いを照らす。不偏不党であり、党派的でないため、皆馴染むことのできる人物であるが、ある日を境に会議にめっきり来なくなってしまった。気がおかしくなり、アコースティックギターを持ち、遁走し、どこかの野原で抒情詩的に死んだのではないかと噂がなされている。
 
のものもが登場する。彼は気が狂っていた。彼の父親は哲学者であり、彼の父に聞けばなんでも話してくれるため、教育のの取りこぼしがなく、血の巡りがいいが、難病のため、肉体に釘付けられており、苦悶に惑乱されて、ついには自分自身の苦悶を忘れるに至った。そのため、頓着がなく自分を良く見せようともしないため、彼と接する人物は楽である。
 
ヤマダが登場する。彼女はこの会議のせいで気が狂ってしまった。ヤマダは透明HIGHWAYを情緒不安定の原因であると言い、リスカの原因であるとも言う。「まるで臓腑を抜き取られた魚のようだ」と言い放ち、入退出を繰り返す。相互的な差異を保ち、協同することがいかに難しいことであるか、僕らは思い知らされることになるのである。被害的な意識が増大しており、不面目であると思い込みで、トイレの個室にこもり、密かに嗚咽するのである。
 
しかまるが登場する。その名前の由来は奈良と歯科、双方から取られている。当たり障りのない真面目な青年で、おおよそ人好きのする人間である。バイトや学校、サークルなど困難な状況を物の見事に切り抜けており、彼の生活は快活に鳴り響いていた。
 
未明が登場する。アンダーグラウンドな価値観を好むが、ラインを超えること、モラルの欠如を無視はしない。貞節を持ったものぐさな小娘という佇まいであり、一人称は「俺」である。だが、幼稚な女々しい感情の発露などはせず、女性でも男性でもないという一つの神聖さが彼女を覆っている。基本的には仮面を被ったように、微笑んでいることが多い。アマチュアやインディーズも好んで聴くが、ヒットチャートの音楽も聴く。彼女が恐れているのは疎外であるように思われる。
 
りょうたが登場する。報酬系による刺激に重きを置いた刹那的な人であるが、酒やタバコはやらず、それより近くの公園にタクシーで行くことに刺激を求めてるようないい意味で風変わりな人である。おそらく、彼は策略家で自信家であるか、もしくはその逆である。
 
ぼろぼろが登場する。痛ましい寂寞な地から逃れるように、彼は喧騒の激しいパチンコ屋で働き、また自らもパチンコや、スロットに嵌まり込む。根は優しく、慇懃でおよそ世話好きな人間であるが、それは敬遠され傷き孤立したくないという心理的反応かつ生物学的適応であると思われる。度重なる会話に連れ、一旦打ち解けるや否や、尊大な態度を取り、頭から湯気を立て始め、容赦無く口撃する。
 
ユリカが登場する。悲哀や沈鬱などに悩まされている。承認をめぐる闘争におけるコミュニケーションを要求し、境界例もあってか、自分が望まなくとも好戦的になっているところがあり、バウマンを参照すると、それは究極的な大量虐殺的な潜在力を剥き出しにするために、ユリカによって、滅ぼされた人間は少なくないであろう。突然のユリカの自主退会により、絶滅は免れた。それは一つの事件であった。その病癖を治すために社会的公正の枠内に置くということ、つまりは、社会的に公正な世界を目指す運動をする。その中で彼女が求めるのは差異(人権)であるように思われる。人権を求め、彼女は別のコミュニティを暗中模索する。
 
窓付きろんが登場する。彼女は気が狂っていた。いつも無分別な放心さを持って会議に現れる。ビデオをつけ、コークハイで薬を過剰摂取したり、リストカットで布団を血塗れにし、胸にどきりとする行動を繰り返し、叔母に助けを求めるなど、病癖をありありと見せつけ、間違いなく治癒どころか、疾病を悪化させている。
 
ぺぺろんちーの小峠が登場する。友情・努力・勝利という原則が彼の頭をぐるぐる回っており、熱血漢である。凛々しい顔立ちと、悠揚迫らぬ物腰を見せるが、その源泉には軽佻さも見られた。金策のためか、東京にやってくるが、当分の金の工面を他人に任せきりであり、嫌悪感を催させる爆薬と化していた。全面的な服従と自由を手放すことのできなかった彼は時に自罰的になり、他人の部屋でオーバードーズをし、自分を処罰することで 、自分の罪悪感を充足させると、障壁だったものが取り除かれ、城中の砦を手放し、城外で爆死する。
 
なかしぃが登場する。こあると同じくムードメーカーであり、ユーモラスな人物である。長身で色好い、美容に携わっているので息をのむほどの美しさであり、温厚で活気に満ちた声調で話すが、おおよそ周りから噂されているとおり、実体が伴っていないようである。その実体である秘奥の部分がだんだんと女性群によって暴かれていき、真空に持ち運ばれていった彼は、「インターネットに依存しすぎた!」と言い放ち、突如として姿を消すが、出戻りしてきた時には年齢の詐称し、vtuberのように設定を付随させた状態であり、自分が21歳だと本当に思い込んでいたのか、気が狂ってしまったのか、よくわからない言動を取り始め、迎え入れるものは多少いたものの、またもや蒸発し、その後のことは誰も知る由もなかった。
 
やっぴ(いけだ)が登場する。LGBTの開放的な別の会議から底抜けに明るい引き抜かれた人物であり、ブラックの出版社で働き、毎月押し寄せて来る入稿や広報営業のため背水の陣で仕事をこなすが、だんだんと処理速度に圧倒され情報を処理する時間が足りず、彼女はとうとう気が狂ってしまった。働くということは己の性質を探求するということでもあり、その性質を武器として用いる。彼女はパワハラを受けていた社長を物の見事にサーベルをもってして暗殺してしまう。パニックになっていた彼女だが、その後の半年のラブホテル清掃を経て、この世の終わりを経験した彼女は、練炭自殺を試みるも、やっとの事で思いとどまる。現在は平和的事業のために在宅バイトを探している。
 
懺悔が登場する。周りから「人形」と言われるほどの鷹揚に構えたその最初の印象からは計り知れないほどの煮えたぎるほどの途方もないうねりを抱えており、それは犠牲にされてきたことに対する応答であり、彼女が人形だとしたら叩き潰された人形であり、絵を通じて自分の感情を伝える能力を持っており、その画法からは忌まわしい怪物などが出現していたが、一部のものにとっては、目を見張るものがあり、賞賛されるが、一方で魔女ではないかという風評が上がる。恋に憂き身を窶す。
 
あらら大使が登場する。投げかけられた質問を漏れなく黒塗りにする。よって、年齢や、いま置かれている環境など一切が不明である。透明のハッチ越しに覗き込んでいるが、こちらは全く持っての不透明である。時に人に難癖をつける態度を取り始めるが争いに導かれたとしても、自身は極めて泰然とした態度を取り続ける。彼の奇術にかかったものは終いには「訳がわからない」と言いながら彼の元を去り、彼は密かに勝利にのぼせ上がり、会議の幕切れまで居座る。
 
お自慰ちゃんが登場する。外観の優雅さは並外れ、白皙の美丈夫である。それゆえ、それに相応しい知力や理性の持ち主であり、周囲は彼のことを集塊ではなく、独自の個人としてのアーキテクチャであると判断する。だが、実際のところ、多様なテンションの入り混じっている彼は、時に発狂し、周囲を卒倒させ、生来から全てが許されている彼は密かにそれを楽しむのである。
 
とろぞう、キノなどが登場する。彼らは非常に微妙な位置についており、電子メディア上で起こるごたごたに巻き込まれたくないようである。匿名の思考を築き上げることを好まず、会議のダイナミズムからは免れているようであるため、なんとも筆舌に尽くしがたいのがこの二人である。
 
しょーじが登場する。彼は完全に気が狂っていた。欲望の汎対象性と、一回ごとに問題を解決してしまうという経験の領野における短時間性に束縛されている。ついには「楽しみが飽和した」と嘆き、また欲望を喚起する視覚的対象または、五感を刺激する材料を求め、インターネットを、「俺は神よりも手強いものだ」と叫びながら健啖の悪魔イビルジョーのように徘徊する。それは緊急クエストにおけるものであり、性のパートタイマーである。快楽が大脳の神経節細胞の中に生じる現象であるなどという薬理学の知識を持つ彼は、虚無感に引き裂かれ、メンタルクリニック抑うつの診断結果を受け、人目を忍び、オキシトシン注射液を緩徐に注射する日々を送っている。
 
おぶせかいかんが登場する。「私は10歳で、アメリカに住んでいることだけ言っていい」と彼女は言い、それ以外は他言無用であるため、秘密なのであるが、その設定はただ煙幕を張っているだけであって、実は吸血鬼である。彼女は既に死んでおり、死後、第八領域に引き込まれ、その領域は肉体の死後まで、存在を承認することはできない、つまり、死体を焼くという文化圏である日本では肉体の死を迎え根拠地を奪われるため吸血鬼は存在し得ないが、埋葬方法が土葬であるアメリカにいることは本当であり、半ば物質化されているアストラル体で吸血し、体に輸血し、体を保っていく。
 
うしゃまんが登場する。彼女は完全に気が狂っていた。変幻自在の声を持つ。片親なのだがその母親が酒乱であり、自分自身もADH1B*2という酒乱遺伝子を持っている。よく飲酒しながら人狼殺の配信をしている。楽しいこと以外考えられない人が好意を持つことが多く、フットワークがギャルのように軽く、悪く言えば放逸であり、本人曰く「あ、いいんだ」って思える。本当に辛い時、死にたいと言えず、うしゃまんだったら大丈夫だよと母親に宥められていた。が、この人は理解されることはないんだなあと内面の裂け目が広がっていく。親にわかってもらえない。信じるられるのは自分だけという信条を持つことを強いられる。透明HIGHWAYの身内感の密集が嫌いであり、上がってくることはごく稀である。
 
べんざカバーが登場する。芸術系の高校を卒業し、大学生で臨床心理士を目指す彼がこの会議に来たのは明らかに一つの事件であり、最初につながりを持ったのはツイッターであり、それも本へのお互いの関心が符号したためであるが、知の欲求が高い御子柴や、同じく芸術分野で連繋ができた懺悔、または自身の懊悩を披瀝するシミズフミ子などにとっては傾聴力が高く愛と称賛の機微に通じているべんざカバーは正の走行性のように働いていた。アフォリズムや、レトリックを交えて話すが、頑強な学者ぶりながら話すことはなかった。やがて、御子柴と懺悔の剣戟により、どちらに一歩近寄ればいいかわからなかったべんざカバーは発狂し、会議を退出し、去人となる。
 
yuくんが登場する。個通を募集していたところ、ウパジにより、会議に入れられる。出る杭は打たれないということで会議であまり目立ったことはせず、穏健で優しい性格であるが、薄く網状に織った布をめくってみると、強い色情を持っていることが確認されるが、色情を持つことは悪いことではなく、性欲というものは一次的ナルチシズム復元の試みで、出発して挫折していく過程であると言われているし、ナルチシズムは欲望がどんな試練を受けたかに応じて作り直されていくものである。だが、彼はその劣等感を色情のせいにしたくはなかった。そして、彼は「糊の熱湯浴」と呼称される沸騰している熱湯を全身に浴びるという儀式を始めた。全身大火傷し、その瞬間だけ色情を忘れられるからである。
 
きさらぎが登場する。実際のところは緊張しいで人見知りであるが、非常に明け透けな人物であり、会議が沈黙であると、自分から話を切り出せる手際の良さがある。だが、沈黙があるのは、それらの絶えざる叫びがあるからなのだが、辺り構わず囀る。遊牧民であり、エネルギー量子を吸収、放出しながら電子が飛び飛びの軌道を巡るように、毎日どこで野営するかを選択しなければならない。
 
浅子が登場する。透明HIGHWAYに寝床としての地区を求めるが自身は都市計画家たろうとしない。浅子が眠りにつくと、所有欲や嫉妬心を持つであろう我々だが、幽閉された「囚われの女」のように皆が安心を覚えるが、通り一遍のようにすぐに何処かへ消えてしまう彼女を見るや否や、我々はたちまち不安になる、移民としてやってくるが、元いた場所への帰属も忘れない、先にも述べたように、ペグ・コミュニティの範疇にいる。
 
ぁぃが登場する。「淡々とした毎日が、空虚、空っぽなの」猫撫で声で喋り、生命と現実にあるように、言語を可能にする命令を発するものの中身とは空虚である。いつか、フランクルの人間とは何かの写真を送ってきたが、集合的知性は空虚をさらにおし拡げ、我々は空虚に宙吊りになっていること知っている。だが、その運動の中で変貌するリズムによって、彼女は「女」であることを切望する。自身のことを「女って感じがしない」と言う。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」というボーヴォワールの言葉に則って、現代版「第二の性」を執筆するかもしれない。社会的アイデンティティは、他者から授与されるものであり、「女」もそうである。
 
ブックオフが登場する。彼女は気が狂っていた。此岸という監獄からの激しい脱出を試み、メジコンを用いて燃料を錬成し、やがては燃えている質量をありありと宿し、手から火を放つ。彼岸を経験した彼女は、エドワード・O. ウィルソンの「人類はどこから来て、どこへ行くのか」という書物を買うが、感想は「何もわからなかった」である。彼女は人と長時間一緒にいるを好まないため、疲弊し、さかしまのデ・ゼッサントのように、フォントネに引きこもってしばらく出てこない時が多々ある。「苦しみが人を目覚めさせ始める」と言うのが彼女の口癖であり、そのためにはメジコンをキメ、それゆえ浄化のための炎に身を委ねる。
 
このきが登場する。彼はこの会議のせいで、気が狂ってしまった。ティーンエイジャーで幼いながらも丁寧口調で、思慮分別があったが、会議という秩序に包摂された馬鹿げた人間がとる感情と情動の渦巻きに対して抗うことができず、コントロールされてしまい、会議というただの発散、二義的なもので、自由という対価を払い、安心を求めるためであったはずの場で、だんだんと道化じみた奇怪な行動を取り始める、それが承認され、その蓄積により作られた偶像を崇拝し、それを里程標のようにして歩き始めるが、その偶像は早世し、疑惑の念に苛まれ、内的葛藤により、自殺未遂を図るが失敗する。
 
みらが登場する。言語的に伝達することができない暗黙知のような人物であるが、その分、人の顔の表情などの相貌によく気がつき、それが一種のメディウムになっている。また西洋占星術を独学で学び、会議では占い師と太鼓判を押されているため一見社交的な人物に見られるが、会議では口数は少なく、自ら発言することはほぼ皆無と言っていい。それは言葉の使用法が極めて象徴体系と結びついているためであるが、他者の参加への顧慮に欠けている訳ではない。
 
れあしが登場する。ヤマダにより入れられ、れあし曰く「事前情報的にはすげーやべえやつ、この会議の主」と認識されていた。秋山といったナルシシックな人物を追加し、新しい情報の運び手であり、機械的な輸送手段により、「御前会議」という支持母胎である自身が作った会議に人を流し始める。レイシズムは安定した集団形成によって克服できるだろうか。動作主という立場に倦み疲れていて、会議をほとんど動かさないでいた僕はただの肉であったとしたら、彼は金属や石であり、堅く、精力的であった。その御前会議というものに僕は入れられなかったため、外縁を動き回り、不法侵入を試みてみるも、剣先フェンスに肉が突き刺さり、血だらけになる。「なんて醜い姿なんだ!」と、御前に入っていく人々に嘲りを受ける。そして、僕の透明というコミュニティで築いたアイデンティティは墓場で芽吹く。
 
かいづかあきらが登場する。かいづかあきらの障害者の血脈が流れるこの会議に帰還する。かいづかに別会議から追放され、反動的に作ったのが透明HIGHWAY、僕たちの出自。かいづかとの関係性はもはや拗れておらず、何事もなかったかのように喋り始める。この人物がいなかったら、ここに記載した全ての人物がいないのである。そして、彼女は、メジコンやバスピン、ハイプロン、ルネスタなどの物質的援助を行う。そして僕は精神病院に10日ほど入院することになる。入院してから5日後か、透明HIGHWAYを削除する。
 
2020.03.04
透明HIGHWAYを潰すことに決めた。精神病院の患者と話していたら、もういいやとなった。安定剤と眠剤がないときついが、もう潰す。
悪いとは思わぬ。さようなら。これから透明HIGHWAYがなければ出会わない人もいると思うが
さようなら 受胎前に帰って
透明HIGHWAYって会議が昔あったね 反動形成で (字が読めない) さようなら
 

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